今日のウィルバーくん 1.21
哲学的な文章を読む場合、筆者がどのような意図で語句を使用しているかを知る必要があります。一般的な意味で捉えられるものと違った意味で、語句を使っている場合があるからです。
「魂」という言葉があります。オカルト的な意味でも捉えられますし、ある人の生き様として受け取ることもできます。「日本人魂」という言葉もありますね。この「魂」という言葉をウィルバーがどのように使用しているからを見てみましょう。
〜以下抜粋。
「魂」とは、わたしの言葉の用法で言えば、いわば旅半ばの宿なのである。それは個人的なエゴの心と、非──個人的ないし超──個人的な「スピリット」の間の中間地点である。魂は「目撃者」となってあなたのなかに輝き出る。それはあなた以外のなかには出てこない。魂とは、ある意味で目撃者の住処である。
あなたが魂のレベルで確立されるということは、目撃者、そして真の「自己」が確立された、ということである。魂のレベルを通り過ぎると、「目撃者」は目撃されるもののなかに溶解する。あなたが雲を目撃するのではない。あなたが雲となる。これが「スピリット」である。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『グレース&グリット』より。
ユニークですが、イメージしやすい説明です。ウィルバーにとって「魂」とは、旅半ばの宿なのです。ですからゴールではありません。そもそもゴールという概念も幻想ですが。
「目撃者」として対象物との距離を保っている存在を、「魂」と捉えています。つまりまだ個人としての分離意識が存在している状態です。ですから旅の途中なのです。
その旅の行き着く先は、対象物を目撃することではなく、その対象物と一つになってしまうことです。見ているものと見られているものとの境界線が消えてしまいます。その状態をウィルバーは「スピリット」と呼んでいます。
ですから「エゴ」を経て「魂」へと至り、最終的には「スピリット」であることに気づく。このことを説明しています。
「魂」は意識の最後の収縮であり、普遍的な「スピリット」を拘束するもっとも微かな結び目である、と言っています。したがって、この結び目は解かなければいけません。これこそが最後の「死」であると説明しています。
これは肉体的な死を意味しているのではありません。エゴの死です。最後に魂として死ぬこと。この最後の死を禅では「大死」と呼んでいます。
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