人間の心は、複雑怪奇
朝から気持ちのいい青空が広がっています。ずっとパソコンの画面に張り付いていても、天気がいいと気分が違います。ちょっと辛かった腰の痛みもほぼ治ったので、順調に作業をこなしています。
昨日の散歩中に見つけたユキヤナギです。もう少しで満開ですね。木蓮とユキヤナギが咲き始めていますので、白い花の色が目立ちます。買い物に帰り道に通る公園では、ユキヤナギと木蓮がたくさん植えられています。ですからこの時期、その公園全体が真っ白になっています。
引きこもりで部屋にいると暖かそうに見えますが、先ほどバルコニーに出てびっくり。思った以上に寒いです。まだしばらくは冬の気候が続くのかな。来週になって暖かくなれば、梅を見に行くつもりにしています。
さて小説を書いていると、登場人物の心の中を描写することがあります。ある特定のシチュエーションがあって、それに対して反応した「想い」を書きます。当然ながら物語ですから、その人物の個性やストーリーの状況によって、特定の描写になります。怒っているとか、悲しんでいるとか、喜んでいるとか。
でも実際の人間は、そんなワンパターンの反応はしないと思うのです。人間の心って、複雑怪奇だと思いませんか?
例えば道を歩いていて、知らない人と肩がぶつかったとします。その時の状況によりますが、自分の不注意ならすぐに謝るでしょう。相手が悪いと感じても、「あっ、すみません」と言ってしまうことがあります。
でも自分の不注意なのに、相手に対してムカつくことがありませんか? 謝りつつも、ちゃんと前を見ろよ、と心の中で毒づいていたりします。
逆に相手が悪いと思うのに謝ってしまうと、そんな自分に腹が立ったりします。さらにその状況で相手が怒ってきたら、相手に対しても怒りも感じます。でもすぐに自分も不注意だったかなぁ、言い過ぎかなぁと思ってみたりもします。明らかに多重人格です。
昨晩はある作家の小説を読みながら、その文章力に感嘆していました。物語の構成の素晴らしさに圧倒されていました。とてもこんな文章は自分に書けない、とかなりへこみます。落ち込みます。胸の奥に鈍痛を感じて、自分の能力の無さに対して嘆きたくなります。
でも同時に、いやいや俺だってこんな文章を書けるよ、と勢いづいている自分もいます。誰だって赤ん坊の時から少しずつ言葉を学んで文章を書くのだから、他人ができることは自分だって絶対できるはずやん、と気合を入れたりしています。
お前は落ち込んでいるのか、それともやる気満々なのか、いったいどっちやねん、と自分に言いたくなります。
結局人間という生き物は、そう簡単にスパッと割り切った反応ができないのではないでしょうか? ある状況が起きると、複数の感情を同時に経験して、複数の人格が右往左往しているような気がします。その中から、最も優位性を持っている人格が現れているだけなのだと思うのです。
怒りっぽいと言われる人は、決して何に対しても怒っているわけではないと思います。ただ、怒る人格が出てきやすいだけです。
逆に温和に見える人でも、決して怒りに心を震わせていないわけではないと思います。ただ、物事を荒げたくない人格が出てきやすいのでしょう。
そうなると「本当の自分」って何? と思いますね。人格というもの自体が、とても曖昧な印象を感じさせます。
だったら、意図的に自分の人格を選択できるのではないでしょうか? 何かが起きた時に機械的に反応するのではなく、一呼吸間をとって、どの人格を表に出すか選択する。どうせいろいろな自分がごちゃ混ぜでいるわけです。どれを選んでも、自分であって、自分でないようなものです。
結局人生を有意義にするのは、どういう自分を選択するのか、ということにかかっているように思います。自分には才能がない、運がない、やる気がない、と感じている人は、そういう人格を選んでいるからでしょう。その人格が条件反射のように登場しやすくなっているだけだと思います。
じっくり落ち着いて自分を観察すれば、まったく違う反応をしている人格がいるはずです。そんな自分を見つけ出してやれば、ちょっと面白い人生になるように思います。存在しないのではなく、隠れているだけです。人間の心は、複雑怪奇ですからね〜〜!
『夢で会える 体外離脱入門』は在庫僅少ですので、お求めの方はハート出版さんや書店に問い合わせてください。Amazonでの注文はこちらです。
『ゼロの物語』3部作は電子書籍のみの販売となりますので、こちらのホームページから販売サイトに行ってくださいね。
『STORY OF ZERO BOOK Ⅰ 〜ENCOUNTER〜』は全世界のAmazonで配信中です。日本のAmazonはこちらです。