残された命に向き合う季節
今日は引きこもりの予定でした。午前中にブログの連載小説を書いている時は、そのつもりでした。
ところが見事な青空。そしてバルコニーから眼下の公園を見下ろすと、満開の桜が周囲の空気をピンク色に染めています。そして明日は外出しますが、どうやら午後からは雨の予報。
ということで、妻と連れ立ってプチお花見に出かけました。
昨日はまだ八分咲き程度だった近所の桜が、このとおり満開です。背の低い古木なのですが、歩道の横にあるのでいつも触らせてもらっています。
そしてその木の近くにある桜も、ほぼ満開近くになりました。昨日は五分咲きの雰囲気でしたが、今日の陽気で一気に花が開いたようです。
目指したのは石屋川公園という、神戸市東灘区にある場所です。我が家は灘区ですが、東灘区との境界線がすぐ東に面しています。ですからプラプラ歩いても、20分くらいで行けます。こんな雰囲気で咲いていました。
背景に見えている山は、六甲山系です。ほぼ満開ですね。この写真には写っていませんが、お花見をされている方が大勢おられました。
このあたりは高級住宅街が隣接しています。口をあんぐりするような大邸宅が、見渡す限り並んでいる場所です。その一角にめちゃ美味しいケーキ屋さんがあります。自宅に戻ってからのおやつにするために、そこでロールケーキを買いました。そして高級住宅をいくつも見て目の保養をしてから、自宅に戻ってきました。
軽めのプチお花見でしたが、とっても楽しかったです。そして久しぶりに食べたロールケーキは絶品! 少し歩けば汗ばむほどの暖かさでしたが、風がとても気持ち良かったです。来週には本格的にお花見をしたいと思っていますので、雰囲気を盛り上げるのにちょうどいい散歩になりました。
桜の時期になると、いつも思うことがあります。
あと何回、この桜を見ることができるだろう? 切実にそう感じます。
今までの人生において、記憶にあるだけでも50回近くは桜を見ています。でもこの先に同じだけの回数を見られる可能性は、限りなくゼロに近いでしょう。一生の間に見ることのできる桜の回数は限られています。毎年こうして桜を見るたびに、その回数が確実に減っているわけです。
それは桜に限ったことではありませんが、この4月ゆえに思うことなのです。古くから私のブログを読んでくださっている方はご存知ですが、私は明晰夢で自分の死ぬ日を見たことがあります。その瞬間は具体的な日時を確認したのですが、現実世界に戻ると『月』しか記憶に残っていませんでした。
それが4月なのです。
その日が何年後の4月なのかはわかりませんが、この季節になると自分の残された命と向き合うように意識しています。足繁くお花見に通うのは、そうした意味があるからです。もしかしたら今年が最後かもしれない。そう思って、真剣にその美しさに心を傾けます。
と言っても、悲壮な気持ちで見ているのではないですよ。人間は誰でもいつか死ぬわけですから、そんなことに怯えているわけではありません。
自分の未来がいつまでも続いているであろう、という漠然とした意味のない思い込みから脱却するきっかけにしているだけです。始まりがあれば、必ず終わりがあります。それがこの物質世界です。その終わりが見えないふりをしているのは、向き合いたくないことから逃げているだけです。
今年の桜が最後かもしれない。そう思って花を見るのは、『今』を感じて大切にするためです。その瞬間を精一杯生きるためです。今日という日は、今日しかない。そのことを実感できるのが、私に沿ってこの桜の季節なのです。
ということで、今年もできる限り多くの桜の木に会いに行きたいと思っています!
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