SOLA TODAY Vol.150
センター試験の時期になると、ネットで目につくのが入試の「不正」。
今年も全国で12件の「不正」が摘発された。その半数が電卓使用とのこと。
まだこんなアホな「不正」を取り締まっているんや、とあきれつつも、一応ルールとして禁止されているから摘発は当然だと納得している。
問題なのは、そのルール。
電卓を使える試験にすればいいのに、と毎年思ってしまう。そんなことを考えているせいか、とてもわかりやすい記事を発見した。
このタイトルの通り、いかに日本の教育が遅れてるかを、センター試験の不正を通じて書かれた良記事。グローバルな視点から見ると、電卓の使用を「不正」だとされることが、どれほどアホらしいことかよくわかる内容になっている。
英国の大学へ外国人が進学するのには、センター試験に該当するものとして国際バカロレア(IB)という試験を受けるらしい。それは難易度が高いことで有名で、この試験を突破して大学へ進学したものは、英国人よりもはるかに優秀な成績を大学で残しているとのこと。
そのIBの試験は、当然ながら電卓使用が認められている。数学や物理の問題を解くのに、使用して当然だという発想。むしろ電卓という道具があるのに、それを使わないことの「非合理性」を採用している日本の感覚のほうが、不思議に思われている。
この記事の著者の友人に、IBを経験した数学と物理に有能な人物がいる。その人はこう言っている。この人は高等数学を解くことができるのに、紙で計算する簡単な割り算の方法を忘れているらしい。
「数学の本質は細かな計算などではなくて、概念を理解することだ。概念さえ理解できていれば、細かい計算は電卓にさせれば良いし、現実の生活においてわざわざ電卓を使わずに紙と鉛筆で計算する奴などいないのだから、それに合わせて教育も合理化されるのが当然だろう」
そうそう、ボクが言いたいのはこういうこと!
義務教育レベルの算数や数学はしっかりと学んでおく必要があると思う。でも大学受験のレベルになれば、もっと別の能力を試験によって確認するべき。大切なのは答えを自らの力で導き出すことであって、計算能力を試験で評価する必要はないはず。
大学生といえば、すぐ社会人生活が待っている。一歩でも大学の外に出て必要とされるのは、「自ら答えを求める」ということ。
仕事であれ、プライペートなことであれ、納得できる答えを自分の頭で考えて導き出すことが必要とされる。人生でもっとも大切なことは、その能力だと言っても過言ではない。
その答えを得るためには、ボクならどうするか?
手にできる限りの道具を使用して、答えを引き出せるあらゆる情報を集める。今ならスマホやPCを駆使するだろうし、過去に読んだ本や、テレビ番組での誰かのコメントを思い出すだろう。あるいは同じ境遇でそこから抜け出した人に助言を求めたり、その方法をパクると思う。つまりカンニング。
極端かもしれないけれど、大学入試でもそうした発想を取り入れるべきではないだろうか。電卓でもスマホでもいいから使用させて、必要となる答えを求める能力をチェックすればいいと思う。それに適する問題を作ればいいだけ。
特に計算が必要な数学や物理の問題なら、ネットをチェックしただけで解けない問題なんて、いくらでも作れるような気がする。自分で答えが出せなければ、試験中に誰かにLINEで聞いたっていいと思う。それもある意味、その人物の特性であり能力だと思うのだけれど。
誰もが公平に思えるルールの範囲で、『自力で解答を仕上げる』という能力を試験で見ればいいのになぁ、とマジで思ってしまう。それって、社会人になったらめちゃ必要な能力だけどね。
逆に道具を使わない、誰かに頼らないことを、子供時代から刷り込まれた人は、学校では優秀な成績を残せても、社会人になって壁にぶち当たると思う。だって過程ではなく、結果を求められるから。どれだけ努力したと言い張っても、結果が出なければ終わり。
いかに早く、あらゆる道具を使用して、あらゆる人間関係を味方につけて、問題の解決策を見つけるかどうかが勝負。IBの試験制度を考えた人たちは、そのことを理解しているのだと思う。
でも数年たっても、きっと日本のセンター試験では、必死になって電卓を使っている受験生を見つけようとしているんだろうなぁw
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