SOLA TODAY Vol.179
努力はしないより、したほうがいいに決まっている。行動しないより、まずは足を前に一歩進めることが肝心。実現したいことがあるのに動かなければ、ゼロという結果を見るしかない。
でも『ゼロより上』だからといって闇雲に努力することは、時間とお金の無駄になってしまう。そこに求められるのは、生産性の高さ。そのことについて、とてもわかりやすく書かれた記事を読んだ。
学校教育がダメな理由と、「学校には価値がある」という主張が無意味なわけ
これはブロガーとして有名なちきりんさんが、新しく出版された自分の本の内容について触れた記事。ちきりんさんはTwitter等で今の学校教育について批判的な意見を述べられている。「学校は学びの場としてあまりに生産性が低い」というのがその理由。
ところがこの意見に反論する人に多いのが、「今でも学校教育には価値がある」とか「学校で学んだことが社会に出て役立っているから、学校には価値がある」という内容。
これらの意見は、まったく反論になっていない。なぜならちきりんさんは、「学校教育に価値がない」といっているわけではない。「あまりにも生産性が低い」と述べている。
反論している人は学校教育について『ゼロより上』の価値があることを述べているだけ。教育に価値があるのは当然で、何かを学ぶことがゼロやマイナスになるなんてありえない。だけどそれらの反論は、現状の教育の生産性についてまったく考慮されていない。
ちきりんさんの意見をピックアップしてみよう。
『正確に言えば私の主張は「学校での学びは、学びの生産性が他の選択肢に比べてとても低い。だから無理して行く必要はない」というものです。価値がゼロより上だと言われても、それだけで無条件に自分の時間やお金を投入したいとは思えません。他にもっと生産性の高い学びの方法はないのか、そう考えてしまうからです』
『最大の理由は、個々人の理解レベルにまったく合わないペースで教えられているからでしょう。最低でも30人の生徒がいる教室では、一番よくわかっている子も一番わかっていない子も、自分の時間を有効活用できていません。
おそらく時間が有効活用できているのは、真ん中の10人ほどではないでしょうか。しかもその10人も、英語の授業時間は有効活用できているけれど、物理の授業ではまったく無駄に人生の時間を使っていたりするのです』
とてもわかりやすい説明。そのとおりだと思う。ボクたちが子供のころは、学校に行くしか方法がなかった。だって鉛筆と紙しかない時代だったから。
でも今はちがう。ちきりんさんも書かれているけれど、大学の4年間で学ぶことを、効率的に学習すれば1年で理解できるはず。それだけの材料も方法も簡単に手に入れることができる。要はやるかやらないかだけ。
この『学校』という言葉を、『努力』に置き換えるとわかりやすい。
努力することは『ゼロより上』の価値を持つことは明らか。だからといって生産性を意識しないと、無駄な時間とお金を費やすだけになってしまう。同じ労力をかけるならば、効率的な方法を検討するべき。
これはいつも、ボクが自分自身に言い聞かせていること。努力するのは当たり前だけれど、しているだけで満足してしまいがち。労力を注いで結果が出ていないならば、明らかに努力の方向性がずれている。
そう思って試行錯誤する日々を過ごしている。それは決して楽なことではなく、悩んで、迷ってばかり。言うのは簡単だけれど、自分の行動を客観的に認知するのは難しいものだから。
この記事の最後に書かれていることが、とても心に残っている。
AmazonやAppleようなグローバル企業が、タックスヘイブンを利用して租税回避をしていることが問題視されている。儲けているのならば会社を創立した国に税金を払え、と言う意見だ。
でもちきりんさんの見方はちがう。グローバル企業はケチで利己的な発想から税金を納めることを避けているのではない。税金を払って国に任せるより、自分たちのほうが生産性の高いことにお金を利用できることを知っているから。
事実、AIや自動車の自動運転等、最新の技術はそうしたグローバル企業によって開発が進められている。アメリカ政府にお金を渡してテロ組織の爆撃に使用されるよりは、資金を留保して新しい世界のために投資したほうがいいという発想なのだろう。これこそ生産性を意識した考え方だと思う。
自分の目標に向かって、たゆまない努力を続けること。そして同時に、その努力の生産性も意識することが大切。そんなことを改めて考えさせてもらえた記事だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
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