SOLA TODAY Vol.193
旅番組が好きなのでよく見るけれど、南米の街を見ていると感じることがある。それは悲惨な征服の歴史。
キリスト教の布教という大義名分(これが大義がどうかは微妙だけれど)で、ヨーロッパの人たちが先住民を征服していった。旧市街に行くと、スペインの建築様式が見られたり、ポルトガル風の建物が残っていたりする。
コロンブスは新大陸の発見者として有名。だけど実態は侵略者でしかない。『新大陸』という言葉には、ヨーロッパが世界の中心だという悪意しか感じられない。土着の宗教をキリスト教に矯正することで、民族の魂を支配しようとしたのだろう。
そんな南米の先住民に関する興味深い記事を見つけた。
BBCの記事。先住民の居住地を研究していたグルーブが、ヨーロッパに植民地化される前の彼らの生活についてあることを発見した。先住民たちは原始人のような生活をしていたのではなく、計画的に植樹をしていたという内容。
古代の居住地に近い地域では、ブラジル・ナッツやカシューナッツ、アサイー、ゴムを生産する85種の樹木が多数を占めるケースが、野生の樹木が多数を占める場合よりも5倍多いことが分かったという。
オランダの研究者、ハンス・テア・ステーゲ博士は、「考えられているよりも、アマゾンには人の手が入っていることが分かった」と語っている。
調査対象になったこのアマゾンの地域において、1492年にコロンブスが到着する以前には約800万人〜1000万人の先住民が住んでいたと見られているらしい。ところがコロンブスの到着を機にして、先住民たちの生活を大きく変えてしまう。
ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘や梅毒という疾病、そして武力制圧によって先住民たちの人口が激減している。時代が時代だったから仕方ないとしても、とんでもない非人道的な行為だよね。
時代は18世紀だけれど、『ミッション』というロバート・デ・ニーロが主演した映画を思い出した。現在のパラグアイのジャングルで暮らしていたグアラニー族という先住民族に対して、イエズス会がキリスト教を布教しようとした物語。
当時のスペインの権力者の思惑や、先住民族に対してどのように考えていたかがよくわかる。宣教師たちがどれだけピュアな思いで先住民に接しようと思っても、政治的な影響を避けることはできない。とても印象に残っている映画だったなぁ。
きっとアマゾンの先住民たちは、自然と共鳴して生きていたのだと思う。植樹という行為はありのままの自然を残すことではないけれど、おそらく自然との共生をかなり意識したものだと想像できる。
そんな優しい生き方をしていた人たちを追い詰めていったヨーロッパの人たちは、どんな想いだったのだろう? 今のボクたちには想像できない感覚や事情があるんだろうな。
過去の出来事は変えることはできない。でもそこから何かを学んで、ボクたちの未来へ生かすことはできるはず。植民地政策のすべてが悪だったわけではないだろう。それによってプラスに働いこともあるはず。
今だからこそ善悪を超越して、植民地政策に対して客観的な考察ができるよね。そしてそれは無駄じゃないと思う。何気ない記事だけれど、そんなことを考えさせられた。
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