SOLA TODAY Vol.207
京都の祇園で芸舞妓の事務所に勤務していたころのこと。ボクのような事務職ではなく、便利屋さんのようにどんなことでも請け負う仕事をしている男性がいた。ボクが30代前半で、その男性は60歳くらいだったと思う。
仕事は真面目で、どんなことを言われても引き受けてくれる。昼間の彼は、まるで天使のような人だった。
ところがお酒を飲むと人格が豹変する。昼間は上司の指示にテキパキとしたがっているのに、その上司に対して平気で暴言を吐く。さらに困ったことに暴力をふるうこともある。必然的に職場の飲み会等で、二次会に声がかからなくなってきた。
ところがその男性は一次会が終わって自宅に戻ったのに、再び街へ繰り出して二次会の会場を探しまわったことがあった。相当お酒が入っているから、もう大変だった。ボクもその男性を止めようとして、殴り合いになりそうだった。
翌朝になると、事務所を行脚して謝罪しまくっている。記憶がないほど酩酊しているわけじゃない。お酒を飲んでしまうと、普段から心に抱えているストレスを抑えることができなくなるのだと思う。お酒というのは、ある意味麻薬並みに怖いものだと思った。
そんなお酒に関するコラムを読んだ。
お酒は成人になれば自由に飲むことができる。薬物のように規制されていないから、車を運転する等のことがなければ、リスクが低いと思われているものだろう。ところが決してリスクの低い摂取物ではないらしい。
国立精神・神経医療研究センターの方が、この記事でお酒のリスクをこのように明言している。
「それは、なにかからの逃げ道として依存してしまい、自殺の主要因になることだ」
一般的なアルコール依存症というイメージは、シラフだと手が震えて、お酒を飲まないと普通になれない人が思い浮かぶと思う。ボクは大学を卒業してすぐのころ、父親の会社で働いているときに工事現場でそんな職人さんを見たことがある。
工事をしようとして脚立に足をかけても、身体が震えてまともに作業ができない。でもワンカップの日本酒をクイッと飲むと、シャキッとして仕事ができる。あぁ、これがアルコール依存症なのだと、そのときは思った。
でもこの記事によると、それは依存症の末期でしかない。お酒に関して家族や職場の人間に迷惑をかける段階で、すでに依存症であるということらしい。最初に書いた男性は、そういう意味ではアルコール依存症だったのかもしれない。
お酒を飲むことに関して自分でコントロールできなくなった段階で、医師の診察を受けるほうがいいとのこと。
例えば、明日は仕事があり、はやく起きないといけない。本当は飲んではいけないとわかっているに、つい飲んでしまい、結果起きられない。あるいは飲めないと眠れないからと手をだして、会議に遅れる。酒を飲むことで家族関係が悪化する……。
先ほどの研究所の人はこう言っている。
「ストレス発散の域を超えて、自分の意思と関係なくなんらかの支障をきたす。それこそ介入が必要なサインです。依存症は本人だけ、家族だけで立ち直ることはできません。専門家による治療や介入が必要な病気なんです」
この記事に書かれているが、大切なのは「弱さ」を見せることらしい。自分が弱い人間だと思われたくないから、虚勢を張る。でも無理をするからストレスがたまる。それをお酒による一時的な高揚感でごまかそうとすることで、依存への悪循環が完成してしまう。
お酒は一時的な高揚感をもたらすけれど、その高揚の先には急激な落ち込みが待っている。つまり麻薬と同じ。
幸いにもボクはお酒でストレスを解放しようという習慣はない。お酒は強いからいくらでも飲めるけれど、月に一度外食したときにビールを一杯飲むか飲まないかという程度。
何かのお祝いでお酒を買っても、その日に飲む少量のお酒しか買わない。日付を超えて保存するのは、せいぜい正月の三ヶ日くらいかな。だから自宅にお酒が保存されることは、一年を通して基本的にありえない。
ボクの場合、本を読んだり、映画を見たり、そして小説を書くことでストレスを解放しているのかもしれない。
でもこの記事を読んで、たとえお酒でも怖いなぁと思った。ちょっと毎日飲み過ぎているかなぁと感じる人は、この記事を読んでほしい。とても現実的で、恐ろしいことが書かれているよ。
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