SOLA TODAY Vol.209
あなたが幸福を感じるにあたって、お金は絶対的に必要だろうか?
よく耳にする言葉が、お金持ちであっても幸せとは限らない。あるいは、貧乏でも愛があれば幸せだ、なんていう陳腐なセリフも昔のドラマではよく使われていた。
そんな幸福とお金の関係についてまとめられた、興味深い記事を読んだ。
幸福度と収入の相関関係について、経済学者が研究した結果がまとめられている。グラフ等を使って説明されているので、興味のある方はリンク先の記事を読むと理解が深まると思う。
いわゆる低所得者の段階では、幸福度がお金に与える影響は無視できない。収入が増えるにしたがって、主観的幸福も高まっていく。それは幸せが増していくという感覚とは少しちがうらしい。
「収入(の多さ)は日々の幸福感をもたらすのにほとんど影響はないが、悲しみのようなネガティブな感情を減らすのに役立つ」という分析結果が出ている。
貧しい国では、日々の生活自体が困難になっている。必然的に治安が悪く、身の危険を感じることも多いだろう。でも収入が上がり始めると、衣食住の問題が少しずつ改善される。その結果、悲しいことに直面することが減少するということだと思う。
だったら収入がどんどん増えたら、幸福は増していくのだろうか?
どうやらそうではないらしい。あるレベルまで収入が増えると、とたんに幸福度に関する上昇が収まってしまう。年収が1万ドルを超えると上昇カーブが緩み、2万ドルと超えるとほぼ水平になってしまう。どれだけ収入が増えても、主観的幸福は頭打ちになってしまうらしい。
これはとても面白い心理だと思う。自由に使えるお金が増えたら、楽しいことを多く経験できるはず。仕事を辞めて旅行三昧をしたり、自分の趣味だけで生きていくこともできるだろう。
だけど調査によると、そんな状況になっても、収入が増えていったころに比べると幸せ感が希薄になっている。なぜ???
この記事で考察されているのは、幸せのセンサーが鈍くなってくるということ。
いわゆる貧乏なころは、どんなことにも幸せを感じることができる。ホームレスの人なら安心して眠れる場所があるだけで幸せだと思うだろう。カップ麺しか食べられない収入だった人が、定食屋さんに通えるようになるだけで幸福度は増す。
所得が少ないころは「小さな幸せ」を感じるセンサーが発達していたが、収入が増えることによってそのセンサーの感度が鈍くなってしまうのかもしれない。何気ない日常の幸せを、スルーしてしまうのだろう。
この結果は、人間の感覚というものが、比較によって成り立っているのがよくわかる。井戸水は年中同じ温度だけれど、冬は暖かく、夏は冷たく感じる。それと同じことかもしれない。幸せという主観的な感覚は、その人が『今』何を基盤に置いているかでちがってくるのだろう。
そう考えると、センサーの感度を上げておくほうがいいよね。こうでなければ自分は幸せになれない、という頑固な枠を作ってしまうと、幸せは遠のくばかり。
ちょっと青空が見えたり、誰かの笑顔を見つけたり、小さな花が咲いているのに幸せを感じることができたら、経済状況なんて関係ない。もっとつっこんで言えば、生きているだけで幸せだと思えるかもしれない。
お金はあったほうがいい。それは生活満足度を高めていくために必要だと思う。お金を悪者にしてはいけない。活動をするうえでの大切なエネルギーだからね。
でも生活満足度と主観的幸福度は別だということ。それをごっちゃにしてしまうと、幸せを感じるセンサーが鈍ってしまうのかもしれない。そんなことを感じた記事だった。
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