カレーで感じた終末感
今朝のブログでも書いたけれど、太陽の活動がイマイチなせいか寒い。日差しは春なのだけれど、空気は完全に冬。
だから歩いていると行き道は寒さに震え、帰り道は暑くて上着を脱ぐことになる。来週には落ち着くのかなぁ。
でも植物たちはしっかり春を感じているよう。ユキヤナギが本格的に咲き出した。春らしい可憐な花だよね。
さて、仕事のキリがついたので、今日は久しぶりに大好きなカレー屋さんに行こうかと思っていた。ところがちょっと嫌な予感が。
本店は神戸の北野にあるけれど、支店が元町にある。先日メガネを作りに行ったとき、そのお店のカレーが食べたくなって妻と二人で元町店に向かった。
ところが本日は休みます、という貼り紙が。基本的に休日がない店なので、なぜだろうと疑問に思っていた。
仕方ないと思ってそのときは諦めた。そしてメガネが完成したときにもう一度元町店に行ってみた。本当は北野店のご主人が大好きなのでそちらに行きたいけれど、ちょっと距離があったので。
でも10日前と同じく元町店は開いていない。カレーのルーは、北野店のご主人がひとりで作っている。これはただ事ではないという感覚だった。
これはいきなり北野店に行ってもマズイかもしれない。そう思って先日電話を入れた。ところが日曜日の昼間なのに誰も出ない。
昨日まで仕事でバタバタしていたから、やはり今日はカレーを食べたくなった。それで昨日の午後に電話を入れた。やはりダメだった……。
事情はわからないけれど、どうやらお店を閉めているみたい。北野店まで行けば、お店に何か書いてあるかもしれない。でも事実を知るのが怖い気もする。
そこそこ年配のご主人がひとりでルーを毎日作っていたから、他の誰もあの味を作ることができない。たまたま体調が悪かったりして、一時的な休業ならまだいい。でも完全閉店だとしたら、かなりショック。
どんなことにも最後の日というものがある。もしかしたら、前回に食べたカレーがその最後の瞬間だったのかもしれない。そんなこと思いもせずに食べていたのに。
たかがカレーだけれど、一種の終末感のようなものを覚えている。
いつかはこんな日が来ることを知っていた。あのご主人は不死身じゃないからね。だけど心のどこかで、いつまでもあのカレーが食べられるように思っている自分がいたのはたしか。
人間の人生って、こんなことの繰り返しなのだろう。誰かと会った最後の日があるし、誰かと交わした最後の言葉がある。どんなことにも必ず終わりがあるのがこの世界。
それがいつかはわからないけれど、ボクにとって人生最後の食事という瞬間があるはず。猫のミューナを最後に抱いたのが、あの瞬間だと思う日だっていつか来る。理屈ではわかっていても、なかなか真剣に感じるのは難しいことだよね。
自分の心に決着をつけるためにも、近いうちに北野まで行くほうがいいのかな? もう二度と食べられないと思うと、無性にあのカレーの味が恋しくなる。もっと通えばよかったと思ってしまう。この切ない気持ちを、忘れないようにしようと強く自分に言い聞かせている。
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