抜き身でいるか、鞘に収まるか
雲は多いけれど、ようやく雨があがった。地面はぬかるんでいるかもしれないけれど、思い切ってお花見に出かけた人は多いだろう。
だって春休み最後の日曜日だから、家族サービスにもってこいだものね。我が家もボチボチ出動する予定だけれど、週の後半にならないと天気が回復しそうにないので、しばらくは様子見かな。
昨日の写真だけれど、JR六甲道周辺に植えられている、ホウキハナモモが咲き出した。桜と同じ時期に花をつけるので、あまり知られていないかもしれない。
ボクも神戸に引っ越してくるまで知らなかったけれど、こんな素敵な街路樹なら京都でも植えたらいいのにと思う。本当に綺麗。
いつも思うけれど、神戸って本当に花が大切にされている。個人単位で植えているものだけじゃなく、自治体が年間を通して植栽の手入れをしてくれる。
だから三宮のフラワー通りなんてこの時期になると、決して名前負けしないほど見事な花が咲き誇っている。美しい花があるだけで、つまらない犯罪が減ると思う。いいことだよね。
さて今日も仕事に追われた1日だけれど、しっかり気分転換をしている。先日の時代劇の続編的な映画を観て、とてもいい気分転換ができた。
『椿三十郎』という1962年の日本映画。ボクが生まれた年だね。
もちろん監督は黒澤明さんで、『用心棒』の続編的な内容になっている。といっても三十郎のキャラを使っているだけで、ストーリーそのものにつながりはない。
だけど『用心棒』を観た人がニンマリとするような、パロディ的なシーンがいくつも仕込まれている。だからボクのような黒澤映画ファンは、何度も観てしまう。どれだけ回数を重ねても、飽きることのない作品だと思う。
『用心棒』に出演した三船敏郎さんは当然ながら主役だけれど、志村喬さんや藤原釜足さん、そして仲代達矢さんも別の役で登場している。仲代達矢さんは、マジで悪役がよく似合うね。
さらにまだ青年の雰囲気が抜けない加山雄三さんや田中邦衛さんも、若い武士の役で出演している。ある藩の内紛を、椿三十郎が見事に解決するというストーリー。相変わらず剣の達人で、予測できないハチャメチャな行動で周囲をハラハラさせる。またそれがかっこいい。
三十郎は味方である城代家老の奥方に、「あなたは抜き身の刀のようね」と言われる。そして「本当にいい刀は、鞘に収まっているものよ」と諭される。
だけどそんな生き方はできない。事件が解決したあと、藩の重臣や若手の改革派は彼を迎え入れようとするが、とっとと退散してしまう。
そして加山雄三さんたち若手の武士に向かって、「俺のような抜き身の刀にならず。ちゃんと鞘に収まっていろ」的な言葉を投げかける。
この映画が公開されたのは高度経済成長のまっただなか。団塊の世代の人たちが戦後経済の基盤を築き、会社人間であることが賞賛された時代だろう。終身雇用という日本独自の勤労体系が完成したころでもある。
だからこの映画が公開された時代は、三十郎のような「抜き身の刀」のような人間は社会からあぶれていく。鞘がないということは、常に本音で生きているということ。だから空気を読まないので、会社人間としては生きていけない。この映画は、そんな時代を象徴しているような気がする。
だけど今はちがう。若手の武士たちのように、決まりきった鞘に収まっている人間のほうが生きづらい時代になってきた。
むしろ三十郎のように「抜き身の刀」の人間でいるほうが、しんどいけれど生き残っていける時代になってきたと思う。同調圧力に負けて横並びの生き方をしていると、古い時代に取り込まれてしまうだけだから。
そう思ってこの映画を見直すと、ちがった意味で面白かった。これからの時代は、三十郎タイプの人間がイキイキと活躍する時代だと思う。まぁ、この主人公はかなりやばいやつだけれどねぇw
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