ファンタジーの舞台裏
今日でゴールデンウィークも終わり。明日から会社だという人は、ちょっぴり憂鬱な午後かも。ボクも散々経験してきたので、その気持ちはよくわかる。
今のように毎日が仕事になると、そうした気持ちの浮き沈みのないことが楽なような、寂しいような不思議な感覚になる。
昨日の散歩中に見つけた花。水仙の一種かな? この世のものとは思えないほど美しいので、しばらく見とれてしまった。ファンタジーの世界に登場しそうな花だよね。
そういえば今日の街も、どこかファンタジーのような雰囲気に満ちている。その理由は黄砂。
晴天なのに、大阪のビル街が蜃気楼のようにかすんで見える。なんだかファンタジーっぽいなぁ、と思ってながめていた。
だけど現実はシビア。pm2.5も混じっているらしいから、本当に困ったもの。今日は引きこもりだからいいけれど、外を歩いていたらマスクが必要かも。
一見するとファンタジーのような世界でも、実態はそうでもないのかもしれない。だけど本当のファンタジーの舞台裏は、心ひかれる魅力に満ちあふれていた。
『ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと』ミヒャエル・エンデ著 田村都志夫(聞き手・編訳)という本を読んだ。
児童文学者、そしてファンタジー作家として有名なミヒャエル・エンデの言葉を集めた本。
ミヒャエル・エンデといえば、『モモ』や『はてしない物語』の著者として有名。『モモ』はそのままのタイトルで映画化され、『はてしない物語』は『ネバー・エンディング・ストーリー』というタイトルで映画になっている。
もちろんボクは原作も読んだし、映画も観ている。ミヒャエル・エンデは1995年に65歳で亡くなっているが、個人的に親交のあった田村さんと何度も対談をされている。亡くなる前日にも会ったという田村さんだから、晩年のミヒャエル・エンデの貴重な言葉が残された興味深い内容だった。
作家として参考になることは、しっかりとボクの心に刻んである。彼がどのようにして物語を紡いできたかは、前半の『書くことについて』という表題での対談で惜しげも無く語られている。興味のある人には珠玉の言葉ばかりだと思う。
それ以外に面白いエピソードがいくつもあった。『モモ』という作品はドイツ語でありながら、セミコロンがまったく使用されていない。評論家たちはその芸術的価値について、多くの議論を重ねた。そしていくつもの論文が発表されている。
あるとき、ミヒャエルはそうした場に招待された。そしてその議論を散々聞かされることになる。そして最後に司会者から、セミコロンを使っていない真相を語って欲しい、と質問された。その答えにボクは爆笑した!
結婚してイタリアで暮らしていた彼は、イタリア製のタイプライターを使っていた。イタリア語にはセミコロンがないらしく、タイプライターにはそのキーがない。つまり意図的に使わなかったのではなく、使いたくでも使えなかっただけ。それが真相であり、芸術的価値なんて関係ない。
ミヒャエルの話によると、そう答えた瞬間に会場は凍りついたらしい。そりゃそうだろうねwww
個人的には驚いたのは、彼が日本文化に異常なほど詳しいこと。その理由を知って納得した。
連れ添った奥さんを亡くしたあと、彼が再婚したのは『はてしない物語』を日本語に翻訳した日本の女性だった。だから日本語や日本の文化に詳しいのは当然だろう。それ以前から興味を持っていたのかもしれないけれど、結婚によって理解が深まったのは事実だと思う。
そしてもうひとつ感銘を受けたのが、彼が精神世界に対して深い造詣を持っていたこと。おそらく物語にも、その影響が出ていると思う。ファンタジー世界とスピリチュアルな思想が、彼の作品のなかで化学反応を起こし、芸術として昇華したのだと思う。
こうでありたい、と思わせてもらえる彼の生き様だった。物語だけでなく、作家の生の言葉に触れることは、表現されている世界観を深く知ることができると思う。いい勉強になったなぁ。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。