最後のものをいうのは、人間の良心
今日は母の日。街を歩いていると、小さなカーネーションを手にした幼い子供と父親の姿を見かけた。見た目は大人の女性ふたりが、どう見ても母と娘という人たちも何組か見かけた。きっと一緒に買い物をしてランチでもするのかな?
通りかかった花屋やスーパーの花売り場には、大小様々なカーネーションが並んでいる。やっぱり母の日は、父の日とちがって盛り上がるよね。
せっかくだからカーネーションの写真でも撮ろうとか思っていると、ちがう花が目についてしまった。
このバラの花の色のグラデーションに心を奪われちゃった。カーネーションもいいけれど、こんな花をお母さんにあげたら喜ぶだろうね。
さてそんな母の日なのに、早朝の嫌なニュース速報で起こされた。また北朝鮮がミサイルを発射した。
打ち上げ角度を上げて距離を抑えたらしいが、通常の角度で飛ばしていたらグァム島まで届く距離とのこと。さらに開発が進めば、ハワイまで飛ばすことは不可能じゃない。日本や韓国だけでなく、中国、ロシア、そしてアメリカにとっても脅威となる。
韓国の新大統領は北朝鮮と対話を進めると就任演説で述べたけれど、それが無駄だと気づいてくれただろうか? あの国はそんなことを受け入れる状況を、とっくの昔に逸脱している。国際的に団結して断固たる意志表示をしないと、取り返しのつかないことになる。
国家間における極度の緊張状態において、もっとも恐ろしいのは自暴自棄になった指導者の暴走。法治国家では考えられないようなことを、追い詰められたらやらかしてしまう。
そんな緊張状態がどういうことを引き起こすかを、真剣に感じさせてもらえる映画を観た。
『クリムゾン・タイド』という1995年のアメリカ映画。この作品の極限的な緊張感が好きで、もう何度も観ている作品。原子力潜水艦の艦長と副長の確執と葛藤を描いている。
冷戦後のロシアで、反アメリカの指導者が反乱軍を組織した。そして核ミサイル施設を奪い、発射コードまで手に入れたという設定。ロシア政府軍はなんとかして反乱軍を抑えようとするが、失敗すれば反乱軍はアメリカに核攻撃を行う可能性がある。
そこでアメリカ全軍に指令が出され、戦闘態勢がとられる。ジーン・ハックマン演じる『アラバマ』という原子力潜水艦の艦長は、核ミサイル発車の命令を受ける。デンゼル・ワシントンが演じる副長は、その命令にしたがって行動する。
ところが近くを通りかかったロシア潜水艦の攻撃を受け、無線装置が破壊されてしまう。核ミサイル発射の命令が出てから、新たに政府からの指令が届いている。だが途中までしか受信できず、攻撃の続行か中止かわからない。
館長は攻撃の続行を主張する。先制攻撃を受ける前に、ロシアの核施設を破壊しなくてはいけない。キューバ危機や湾岸戦争で実戦を経験してきた軍人としての判断だった。
実戦経験のない副長は、無線装置を修理して新たな指令を確認するまで攻撃の中止を主張する。もし中止命令が出ているのに核ミサイルを打ち込んでしまえば、報復されることで世界を巻き込んだ核戦争になってしまうから。
ふたりの司令官の半目は、支持するそれぞれの兵士を分裂させる。武力制圧してまでもミサイルを発射しようとする艦長派と、同じく武装化して無線修理によって確実な指令を得ようとする副長派が、潜水艦の指揮権をめぐって戦う。
どちらも命令を守っていることにちがいはない。通信装置が破壊されたことによって、何が正しいのかわからないだけだ。そんな緊迫した状況を救ったのは、ミサイル発射のトリガーを管理している人物の良心だった。
その人物の躊躇によって、無線機の修理が間に合い、命令中止の確認がとれる。何度観ても、ハラハラドキドキしてしまう作品。これは実際にキューバ危機で起きたことをモチーフにしているとのこと。
この映画の当時は、原子力潜水艦の艦長にミサイル発射の権限があった。でもこうしたことが想定されて、法律が改正されている。最終的に核ミサイル発射を決定できるのは、現在ではアメリカ大統領だけになっている。
だけど、はたしてそれは改正だと言えるだろうか? トランプ大統領を見ていると、ちょっと不安になる。
それでもまだアメリカは法治国家。北朝鮮という独裁国家に世界の良識は通用しない。この映画を久しぶりに観て、最初に頭に浮かんだのはこの国のことだった。
あの国の権力者のなかに、人間の良心を発露できる人がいるのだろうか? そう考えると、悲観的な想像しか浮かんでこない。
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