『ゴースト』に突っ込んでみた
常にいろいろな曲にハマっているけれど、最近になってボクの心の奥深くズブズブと侵入しているバンドが、クリーン・バンディットというイギリスのグループ。
基本的にはコンピュータで打ち込んだエレクトロニックのグループなんだけれど、クラシック音楽とダンスミュージックを見事にミックスさせている。そして複数のヴォーカリストをフィーチャーすることで、楽曲によってまったく新しい化学反応を起こしている。
特に最近気に入っていて、ついつい口ずさんでしまうのが最新の『Symphony』という曲。メロディもヴォーカルも本当に素晴らしい。演奏もポップな要素に管弦楽の魅力が混ざり、とても壮大な仕上がりになっている。そして歌詞もいいんだよね。なんか泣けてくる。
ビデオクリップをリンクしておくので、聴いたことがない人はぜひ体験して欲しい。
音楽というのは不思議な魅力があって、その曲を聴いた時空のイメージを焼き付ける。だから映画でも音楽が効果的に使われていて、印象に残る音楽がいくつもある。昨日は『アンテェインド・メロディ』という1955年の楽曲を主題歌に使った映画を観た。
この曲名を知らない人でも、音楽を聴いたらこの映画のシーンが頭に浮かぶ人が多いだろう。それはこんなシーン。
『ゴースト/ニューヨークの幻』という1990年のアメリカ映画。きっと10回以上は観ている。それでもときどき無性に観たくなる映画。
昨日は久しぶりに観たけれど、やはりこのシーンを観ながら音楽を耳にするだけで、ウルウルしてしまう。ピッタリの曲だと思う。
有名な映画なので、内容を知らない人のほうが少ないだろう。ボクも大好きな映画で、ホメ言葉しか出てこない。でもそれじゃ面白くない。
そこで、この映画の突っ込みどころを考えてみた。細かいところをいえば、かなり見つかるものだよね。
ボクが体験している体外離脱と比較して考えてみた。
まずは霊体と物質との関係。死んだばかりのサムは、壁を抜けるのも苦労している。じっくり抜けながらドアの原子構造まで知覚している。
それはいいとしても、もともと物に触れることはできないわけだから、壁を通り抜けられるのは当たり前。それなのに最初はかなり苦労していた。矛盾しているよね。
死んだ直後に病院に行っているけれど、物質に触れることができないのに、なぜ病院の床に立っていられるの? 物に触れないんだったら、病院の床を突き抜けるはずやんかw
自宅のマンションに入っても、そこに立っているということは、物に触れている証拠。だけど缶を蹴ることさえ、最初はできない。
だけどサムは地下鉄のゴーストに習い、物に触れることができるようになる。おぉ、進歩したやん! きっと物資と霊体の関係は、自分の思い込みに左右されることを実感したんだろう。
体外離脱の場合も同じことが言える。壁を抜けることに疑いを持たなければ簡単。だけどもしかしてヤバイかもと想像してしまうと、思い切り壁にぶち当たる。要は思い込みしだいだということ。
ところがサムは不思議な行動をとる。物に触れることができるようになって、裏切り者の親友だったカールを脅すシーンがある。銀行で一人残業しているカールをポルダーガイストのように驚かせるだけでなく、彼の身体に触れて自分の存在を伝えている。カールだって自分が幽霊に触られているのに気づいている。
でもサムは、ラスト近くで恋人のモリーの身体に触れられないと悩んで、オダ・メイに憑依させてもらう。とてもいいシーンなんだけれど、そんな必要なくない?
だって触れるやん。カールに触ってたやん。だったらモリーだって直接触ることができるはず。ボクは思わず突っ込んだ。
キリがないので最後にもうひとつ。この映画全体に流れる善悪の概念に違和感を覚える。確かにカールは悪いやつだし、実行犯のウィリーも自動車事故で死ぬのは自業自得だろう。だけどあの変な悪魔のようなやつは何よ〜〜www
何を持って人間の善悪を判断しているんだろう? サムはラストで光が迎えに来る。映画の流れで言えばそうだろう。だけど本当に彼は完璧な善人なの?
映画ではわからないけれど、どんな人間にだって善と悪の部分があるはず。そんな簡単に割り切れるものじゃない。どこかグレーなのが人間なのではないだろうか?
もしかしたらサムだって、過去にとんでもない悪いことをして、誰かを苦しめたり泣かしたりしているかもしれない。人間としてそういうことがあっても、決して不思議じゃないはず。
この映画のキリスト教的な善悪の分断に対して、いつも突っ込みたくなる。でもさっきも書いたけれど、あえて突っ込む場合だけ。映画として観るとき、そんなことは無視している。それが映画を楽しむ方法だと考えているからね。
久しぶりに観ても、やっぱり素敵な映画だった!
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