何? この不思議な感覚
毎日同じ言葉だけれど、今日も気持ちいい!
梅雨入りしてからジトジトは覚悟していたのに、これだけ毎日快適な日が続くともう一度心の準備が必要かも。でないと太平洋高気圧がやってきたとき、ゲッソリしそう。
昨日の散歩中に見つけたユリ。綺麗だなぁ。うっすらとピンク色で、ちょっぴり恥じらっている女性のような雰囲気だね。まぁ、酒を飲んだ赤ら顔のオッサンに見えなくもないけれどwww
でもそんなオッサンでも、はちきれそうな若さがあふれる青年時代があったはず。だけど若さがあっても、生きるための経験が伴っていないことのほうが多い。
人生というのは不思議で、エネルギーに満ちている若いときは、まだまだ経験不足だったりする。だけど年齢を重ねてある種の極意のようなものを見つけたと思ったときには、すでにそれを生かす若さが遠いものになっていたりする。そんな矛盾があるからこそ、人間というのは魅力的なのかもしれない。
そんなことを感じさせてもらえる小説を読んだ。
『老人と海』ヘミングウェイ著という本。『武器よさらば』、『誰がために鐘は鳴る』に続く、ボクのヘミングウェイ体験の第3弾。
この小説でヘミングウェイはノーベル文学賞を受賞したと言われている作品。前2作の経験を生かして、ヘミングウェイのモードで読み始めた。ところがなんかちがうんだよね。他の2作とまったく感じる印象がちがう。
読み終わって、なんとも言えない不思議な感覚になった。
とってもシンプルなストーリー。キューバの年老いた漁師であるサンチャゴは、ベテランで誰かも賞賛されるような腕を持っている。ところがここ数ヶ月は不漁が続いていて、いつも彼を手伝ってくれていた少年も親に言われて別の船に乗ってしまった。
仕方なくたったひとりで海に出たサンチャゴは、とんでもない大きな魚に出会う。今まで釣り上げたどんな獲物よりもでかいカジキマグロだった。驚いたことに4日にもわたる死闘のうえ、ようやくカジキを仕留める。
そころがかなり沖に出ていたので、戻るまでに鮫が獲物に手を出そうとする。大きすぎて船に乗せられないものだから係留していた。そのカジキを少しずつ鮫に食べられてしまい、港に着いたときには骨しか残っていなかったという結末。まるでブラックジョークのよう。
これだけ聞いたら、なんでノーベル文学賞なの? と思うだろう。
でも不思議な小説なんだよね。うまく説明できないけれど、読んでいると自分が幽霊になって、サンチャゴに憑依したような気分になる。実際誰かに憑依したことはないけれどね〜w
小説は三人称で、サンチャゴの視点で書かれている。でも簡単な心象描写があるだけで、ひたすら彼の行動だけが記されている。彼がああ思っている、こう思っている、ということにあまり触れられていない。ただひたすら、経験を積んだ漁師の技量が文字として記されている。
そのせいかもしれない。共感というレベルを超越して、その物語の世界に吸い込まれてしまう。だからいつしか自分がサンチャゴになっている。
最初にボクが感じたのは、とても辛い、悲しい体験だった。自分には漁師の腕として誰にも負けないという自信がある。辛くて悲しいのは、思うように身体がついてこないから。
だけど大魚と死闘をくり返すうち、何か突き抜けたものを自分のなかに感じ始める。やがてその想いは、自分と獲物に対する強い崇敬の念のようなものに変わっていく。
獲物を持って帰れなかったのだから、収入にはならない。漁師としては失敗かもしれない。だけどその骨を見た他の漁師たちは、言葉にできない尊敬の念をサンチャゴの船に向ける。読み終わって、なんとも言えない心地よい疲労を感じる小説だった。
きっとまだ今のボクでは読みきれていない部分があるような気がする。しばらく時間をおいて、またいつか読んで見たいと思う作品だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。