母性にまさるものはなし
今日は父の日。父は他界しているし、ボク自身は父ではないので、いつもの日曜日と変わらない。猫のミューナはもしかしたらボクを父と認識してくれているかもしれないけれど、午後から爆睡して姿を見せないので期待しても無駄みたいw
昨日はスーパーの花屋さんに父の日用のお花が売られていて、購入している人を見かけた。惣菜売り場に行っても、お父さん向けのオードブルが並んでいた。6月は他に行事がないときでもあるので、百貨店やショッピングモールでは、いわゆる『父の日セール』の追い込みだろう。
だとしても、やっぱり地味だよねぇ。母の日に比べたら、街の雰囲気から感じるイベントエネルギーのポテンシャルが低い。なんだかんだ言っても、母性にまさるものはない、ということだろう。
まさにそのことを全面に打ち出した小説を読んだ。
『ダ・ヴィンチ・コード』ダン・ブラウン著という本。先日久しぶりに映画を観たので、1度しか読んでない原作を読み返してみた。文庫本で3冊あるので、読了するのに4日もかかってしまった。
主人公であるロバート・ラングドンの追っかけをしたくなってので、1作目の『天使と悪魔』に続いてこの作品を読み、その後は『ロスト・シンボル』、『インフェルノ』を読むつもり。そして最後に昨年公開された『インフェルノ』の映画を鑑賞する予定。
有名な物語なので、説明の必要はないだろう。小説が出版され、映画化されたときに、カトリックの信者からブーインが出たので有名。さらにこの物語で使われた場所に向かう人が殺到して、今の日本のアニメ映画のような『聖地巡礼』で話題になった、
それほどリアルに書かれていたということ。物語の一部にノンフィクションを加えることで、すべてが真実のように思えてしまう。久しぶりに読み返して、うまいなぁ、と舌を巻いた。やはり原作は映画よりはるかに面白い。
『天使と悪魔』に比べたら、映画は原作に忠実に作られている。だけど登場人物の背景は小説にかなわない。一人ひとりの行動に対して動機が明確にされているので、原作のほうが物語の本質をより正確に理解できる。
この物語で書かれている衝撃的な事実は、イエス・キリストが結婚していて子供をもうけていたということ。妻はマグダラのマリアで、その子孫は今でも生きている。本来ならイエスのあとを継ぐのはマリアで、その子供であった。母系がキリスト教の中核になるはずだった。
ところが男性優位の社会を維持したいカトリックの権力者は、その事実を封印した。マグダラのマリアを娼婦とすることでおとしめ、人間イエスを神格化した。そうすることで禁断の果実を食べたイブに人間の罪を背負わせ、男性こそが世界を牽引するという幻想を作り上げた。
その事実を暴こうとする者と阻止する者との戦いに、ロバートが巻き込まれていくという物語。最終的な結論として、衝撃的な事実が公表されることはない。だけど女系を守ってきた秘密結社は、すでに母性が現在の世界で勝利していることを自覚している。
要するに見た目は男性が支配しているが、実権は女性が握っていると言いたいのかもね。
だけどまだまだ、男女の平等が実現されているとは言えない。女性の国家元首が目立つようになってきたけれど、男性支配の古い思い込みが根強く残っている。その矛盾が解決しない限り、人種差別やいじめは、この世界からなくならないだろう。
「父の日」を祝いつつ、「母の日」が圧倒的な優位を維持している現実を、今日は認識する日かもしれない。やはり母は強しで、母性にまさるものはないということだろうね〜!
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