SOLA TODAY Vol.303
知能という言葉の定義を、あまり真剣に考えたことがない。普段から漠然と使っている。
だけど人工知能の進化によって、改めて知能とはどういうものか問い直されているような気がする。その答えを与えてくれそうな記事を読んだ。
いかめしいタイトルだけれど、本当の黒魔術のことではない。最近の人工知能業界では、黒魔術という言葉がスラングとして使われているらしい。
この記事の著者は大学教授の山本さん。人工知能の研究をされていて、将棋のAIである「Ponanza」というプログラムを作られた。この「Ponanza」はすでに無敵状態で、現名人である佐藤名人にも勝ったらしい。
それでも当初はどうしようもなく弱いソフトで、著者はアマ5段らしいが、最大限のハンデをAIに与えても余裕で勝ったらしい。それが10年前のことで、改良を重ねながら今ではプロの名人を破るまで進化した。
その過程で著者が感じたことが、とても興味深い。人工知能はあらゆる分野で性能を上げているけれど、エンジニアに共通した悩みがある。それは性能が上がれば上がるほど、なぜそうなったのかわからない、という奇妙な現象が起きている。
「どうやって生まれたのか、あるいはなぜ効果が出るのかわからない技術の総称」として、『黒魔術』という言葉が人工知能業界のスラングとして定着しているらしい。
通常の科学というものは「還元主義」が基本で、部品の機能がわかれば全体の機能を説明できる。ところが人工知能に関しては、そんな還元主義は通用しない。AI自らが思考を進めていくので、その過程を科学的に分析できない。
そんなアホな、と思いそうだけれど、冷静に考えたらよくわかる。
この記事の著者が将棋を指しても、プロの名人には勝てないはず。ところがその人が作った人工知能は、名人に勝利している。囲碁で世界のトップを破ったAIだって、それを開発した人がその能力を持っているわけじゃない。
つまり知能というものは、理由がわからない状況で進化していく、ということ。まさにそれが知能という言葉の定義じゃないだろうか?
こういうことを書くと、AIが人間を支配して世界を滅ぼすのではないか、と言い出す人があるんだろうなぁw そういえば『イーグル・アイ』という映画は、まさに人工知能の暴走を描いた作品だったね。
たしかに人工知能が製作者の理解できないパターンで進化をしていくのはまちがいない。だからこそ人工・『知能』というのだろう。だからと言ってコントロール不能になるものではない。あくまでも人間の生活を助けるものであって、『人工』・知能という言葉のとおりに人間が作って、その管理下にあるもの。
傘や金属バットが凶器になるのと同じで、恐れるべきものは人間の心の闇だろう。人間が作ったものであるなら、悪用しようと思えばできる。
人工知能の暴走を心配している暇があるならば、どうすれば人間がもっと他人を思いやれる存在になれるかを考えるほうがいい。それこそが本来の『知能』の使い方だろう。
そんなことは無理だ、と感じる時点で思考停止している。知能の定義は予測できない進化を遂げることのはず。だったらポジティブな意味での『黒魔術』を、人間自身の知能で起こすべき。
ボクたちが人工知能の素晴らしい能力によって気づく必要があるのは、自分自身に限界を設けない限りできないことはない、ということだと思う。
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