過去も未来も『今』進行している
真夏なら台風一過の晴天になるところだけど、今は梅雨。台風3号が通過したものの、今日も梅雨らしい天気だった。
雨と曇りが断続的に入れ替わり、降るときはかなり強い雨になる。午前中はスーパーに入るときは曇り空なのに、出てきたら大雨になったりしていた。それでも午後から落ち着いたようで、とりあえず雨はやんだみたいだね。
今月に入って新作を書いているけれど、ふと考えることがある。ボクが書いている小説のセリフや出来事が、どこかの時空で実際に起きていることではないだろうか?
なぜそんなことを思うかと言えば、自分の頭で考えたように思えないことが浮かんできたりするから。小説を書いているときは異常なくらい集中していて、一種のトランス状態のようになっている。だからどこかの世界の出来事を、のぞき込んでいるような気分になる。
もしそうだとしたら、おそらく時間を超越しているはず。自分が過去を見ているのか、未来を覗いているのかわからないけれど、とにかく常識的な時空を超えているのはたしか。
そんなことを考えているのは、どうやらボクだけではないらしい。昨日観た映画の作者も同じことを考えている。
『めぐりあう時間たち』(原題:The Hours)という2002年のアメリカ映画。『死』をテーマにした映画なので、ちょっぴり陰気。だけどボクは素晴らしい作品だと評価している。
過去に1度しか観たことがなかったけれど、昨日の2度目は衝撃が走った。おそらくこの映画は観れば観るほど、その深い意味に気づく作品だと思う。この映画はちがう時代を過ごす3人の女性のある1日が同時進行する物語。
1923年のヴァージニア・ウルフという女性を二コール・キッドマンが演じている。
1951年のローラ・ブラウンという女性をジュリアン・ムーアが演じている。
2001年のクラリッサ。ヴォーンという女性をメリル・ストリープが演じている。
この映画のテーマになっているのは先ほど書いた『死』と『選択』だろう。人間というのは常に選択をして生きている。それは究極的に言えば、生きるか死ぬかという選択になる。
そんな3人の女性の選択権を握っているのが、1923年のヴァージニア。彼女は実在の小説家で『ダロウェイ夫人』という作品を残している。心が病んでいる彼女は、ロンドンを離れた郊外でこの作品を執筆した。その書かれた小説に沿って、別の時代が影響を受けるという設定になっている。
ヴァージニアがヒロインを死なせようと決意する。すると1951年のローラが、妊娠中であるにもかかわらず、夫と息子を置いて自殺しようとする。もともと家庭生活に不満を抱えていたけれど、まさにその引き金になったのが1923年の選択。もちろんローラは『ダロウェイ夫人』を愛読している。
だけどヴァージニアは気が変わり、別の人間を死なせようと決める。2001年のクラリッサは出版社の編集者。同性愛であるけれど、若いころに愛し合った男性がいる。詩人で小説家でもあるリチャードを、先日に別の映画で観たばかりのエド・ハリスが演じている。
このリチャードも実は同性愛者で、自分の恋人を男性に奪われたことで、クラリッサは同性愛者である自分に気づいたとも言える。だけどリチャードはエイズを患っていて、かなり精神が錯乱している。
リチャードが詩人として栄養ある賞の受賞が決まり、ずっと病気の面倒を見てきたクラリッサは、彼を祝うパーティを企画する。だけど1923年のヴァージニアが別の人間を死なせるシーンを書いてしまう。
すると2001年のリチャードは、「私たち二人ほど幸せな二人はいない」とクラリッサに言い残して自殺してしまう。この段階で時空が超えたように感じ、本当に不思議な気分になってくる。
そして結果的に自分の心の病が治らず、夫に迷惑をかけることを苦にした1923年のヴァージニアが、1941年になって入水自殺する。夫あてに残した遺書には『私たちほど幸せな二人はいない」と書かれていた。
心に言葉で説明できない何かが残る映画。もう一度見たら、おそらく再びちがう発見をすると思う。『めぐりあう時間たち』という邦題は、かなりいい線いっているよね。この映画を見事に表現している。また、時間を置いていつか観たいと思う作品だった。
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