『引き寄せの法則』が嫌いな理由
着実に夏へと向かっている神戸だけれど、まだ梅雨の雲があるおかげで過ごしやすい。カンカン照りにならないので、蒸し暑さを我慢すればどうにかやり過ごせる。そのうち、夏の青空が広がるだろうけれどね。
そんなカンカン照りを心待ちにしている花を発見。今年の夏、初めて見た百日紅の花。綺麗だね。蝉も日々数が増えているようだし、あとは梅雨明けを待つだけになってきた。
今日の神戸は夕方になって少しだけ雨が降り、冷たい空気が流れ込んでいる。このままなら夜は気持ちよく眠れそう。夏の睡眠不足は体力を奪うし、仕事の効率も悪くなる。眠れるときに、しっかり眠っておこうと心がけている。
だって気象状況なんて、人間の思うようにいかない。中国の『三国志』に登場する諸葛孔明なら自在に天気を操れるかもしれないけれど、ボクたち凡人には無理。むしろ予想できないことに、日々を楽しく生きる秘訣があると思っている。
スピリチュアルな世界で有名な、『引き寄せの法則』というものがある。ボクはこれが嫌い。
嫌いということは、否定しているわけじゃない。人間が自分の現実を創っていることは認めるし、心理学的にも人間は自分の信じる現実しか経験しない。だからそのことを応用した『引き寄せの法則』がもてはやされるのは理解できる。
だったらなぜ嫌いなのか?
ひと言で説明しよう。ワクワクしないから。
自分の未来に展望を抱き、成し遂げたいことは存在する。そしてそのために、日々自分なりに努力を重ねている。それなりにイメージを抱いしているし、起るべきことは、必ず起こることを確信している。
ただ『引き寄せの法則』は、面白くない。なぜなら明確なイメージを要求するから。自分の成し遂げたいことに対して、さも今それが実現しているようにふるまう。そこに至る過程をリアルにイメージすることで、そうした現実を引き寄せようとする。
そんなこと面白いだろうか? まるで予定調和の小説を読んだり、映画を観ているようなもの。過程も結末もイメージしたとおりなら、そんな現実は体験したくない。つまんないからね。
何が起きるかわからないから、人生はワクワクする。『引き寄せの法則』を駆使して、特定の現実を強烈にイメージしたら、それ以外の可能性を否定してしまうことになる。そんなの絶対に嫌だ。山頂を目指すのに、いろいろなルートがあっていいはず。冒険というものは、そういうものじゃないだろうか?
ボクが普段から意識していることは、人間に自由意志はないということ。つまりどれだけあがいても、ある物事に対して自分はどうしても動かざるえを得ない。それは『引き寄せの法則』を使っても使わなくても、起きることなら起きる。
だったら川の流れに任せるように、人生そのものを楽しむほうがいいと思っている。『引き寄せの法則』は否定しないけれど、使いたい人はどうぞお好きに、と言うしかない。ボクはそんなことにエネルギーを注いでいる時間があれば、目の前のことに全力で取り組む。そのほうが近道で楽しいと思うから。
何が起きるかわからないことを楽しむ心は、トラブルに対して臨機応変になれるだけじゃない。予想もしなかった楽しくてうれしい出来事を体験できるという特典がある。『引き寄せの法則』が成功したとすれば、それはそれでうれしいかもしれない。だけどそれは『既知』でしかない。
どうせ楽しいことなら『未知』のほうが感動するし、自分の可能性に対する無限大のパワーを信じることができる。あぁ、こんな道もあったんだと自分で感じることで、他人の『未知』の可能性を信じて応援することもできる。
ということでボクは『引き寄せの法則』に魅力を感じない。必要なものは意識しなくても、確実に引き寄せていることを信じているから。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。