SOLA TODAY Vol.346
8月に入ったばかりだけれど、もう来週はお盆。帰省ラッシュで日本中の交通機関がマヒするが、帰省客と同じようにこの時期忙しいのがお坊さん。
檀家制度というものがあることで、僧侶の生活は成り立っている。各家庭では僧侶を迎えるために仏壇を掃除して、お布施を用意しなくてはいけない。都会ではそうした風習が消えつつあるかもしれないが、地方ではそうもいかない。
お盆のお布施だけなく、月命日や来月のお彼岸にも僧侶はやってくる。寺の建物が古くなったと住職が訴えると、檀家の総代が率先して寄付を募る。任意というのは表向きだけで、田舎で暮らしていくためには年金暮らしの世帯でも負担せざるをえない。
ボクは以前からこうした檀家制度に疑問を持っているし、自分からそういう縁を断ち切った。日本における現代仏教については、批判したいことは山ほどあるけれど、尊敬すべきものを何も感じない。正直言って、ほとんどの僧侶が葬儀屋にしか見えない。
そんな現代の檀家制度について、異を唱える僧侶が記事で取り上げられていた。
その僧侶は埼玉県の熊谷に住む51歳の住職。現代の僧侶のあり方に疑問を持ち、42歳で父から寺を引き継いだときに、思い切った改革に出た。
それは檀家制度の廃止。
「お寺を滅ぼす元凶が、檀家制度です」と断言したこの住職は、仏教会の大反対や檀家の批判を浴びながら、本当にやってしまった。
400軒近くあった檀家との関係を解消して、会員組織の寺に変更した。檀家はすべて信徒という呼称に変え、この地域以外の人にも門戸を開放した。
最初に取り組んだのは「明朗会計」と「サービス重視」。
これまであいまいだったお布施を、大幅に減額。ほぼ半額にして、誰にでも共通の金額に変えた。遺骨を郵送で受け付ける「送骨サービス」を始め、全国に信徒を作った。結果的に法事は以前の5倍ほどの数になり、信徒は檀家時代の2倍に増えている。
税金逃れの元凶である宗教法人の経理。その点も改革を進め、収支をガラス張りにしている。それによると、先代住職の4倍以上の収入を得るようになった。当然ながら同業者からの風当たりは強く、ビジネス坊主と揶揄され、「裏切り者」と陰口をたたかれているらしい。
これまでの慣習に風穴を開けたという意味では、画期的なことだろう。檀家にしがみついている僧侶のことを思うと、とてもユニークなやり方で賛同できる部分が多い。これから若い世代の僧侶が寺を継ぐようになると、同じような人が出てくると思う。
でもボク個人としては、従来の問題が残ったままだと感じる。結局は葬儀屋というレベルでは同じにしか見えない。
亡くなった人にお経をあげたり、戒名をつけることが、本当に意味のあることだと思っているのだろうか?
そのことについて、真剣に考えたことがあるのだろうか?
一般の人は、家族が亡くなれば供養してあげたいと思う。だけどその方法はわからないし、逆に何もしないことに対して無言のプレッシャーを与えられている。
「そんなことでは成仏できないよ」という僧侶の言葉は、「善意の恐怖」でしかない。だから明朗会計であってもなくても、その恐怖とプレッシャーから逃れるため、あるいは亡くなった家族のことを思うために大金を払う。
なんかおかしくない?
ブッダはこんなことをしただろうか?
やはりボクは、仏教であろうとキリスト教であろうと、既存の現代宗教に対して疑問符しか使えない。この僧侶のやっていることは既成概念を取っ払うことには貢献しても、宗教が持つ本来の目的からは逸脱しているとしか思えない。
ボクが死んだらお経をあげてもらわなくてもいいし、戒名もお墓も必要ない。散骨も不要。もちろん永代供養なんてしてもらわなくていい。ただ法定どおりに火葬して、ゴミとして処理してもらったらそれで十分なんだけれどね。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする