同じ映画を何度も見る理由
いや〜、まいったなぁ。パソコントラブルの再発だよ。
妻のパソコンを借りて仕事に使っていたけれど、やはり症状は直っていなかった。朝のブログや仕事は順調にこなしていたけれど、午後の仕事の最中にプッツリと電源が落ちた。最悪の状況。
幸いこまめにバックアップを取りながら仕事をしていたので、数行の文章被害だけですんだ。すぐに昨日届いた外付けキーボードを取り出して、まともにキーが打てないボクのパソコンで仕事をすませた。そしてこのブログも、そのキーボードを使って書いている。
無駄になるかと思ったけれど、キーボードを買っておいてよかった。もう少し楽観的に構えていたら、仕事が滞ってしまうところだった。とりあえずリスクヘッジは効いていたようなので、ひと安心。
だけどこうなると、パソコンを完全に初期化するしか方法がなさそう。一度腰をすえてやってみるしかないだろう。もしそれで改善されなければ、やはりハードがおかしいということになる。その段階で、修理店に持っていくしかない。時間を取られるのが痛いけれど、大切なパソコンなのでなんとか復活させてやろうと思う。なんでも新品を買えばいい、というものじゃないかからね。
さて、新しいキーボードの感触に慣れるため、つらつらと文字を打ちながらの雑談。ボクは気に入った映画を何度も観るということをする。もちろんそれは面白い映画だからという理由だけど、それ以外にも目的がある。
映画を観る目的として、新しい情報をインプットするというものがある。それはジャンルを選ばず、できるだけ過去に観たことのない作品をチョイスすることで意識している。
もうひとつの目的は、ストーリーの流れを身体に叩き込むこと。初めて観る映画は、ストーリーを追いかけることに神経を使う。だけど二度目、三度目になると、俳優さんの演技や脚本構成、監督の演出効果などが少しずつ理解できるようになってくる。小説を書くうえで、それはとても有意義な勉強になる。
だけどそれらをただ漫然と感じているだけでは、自分の血肉にならない。だから何度も繰り返し観る。そうすることで映画のストーリー構成が無意識化にインストールされる。ボクが10回以上は観ている映画は、意識のどこかで物語を構成するための素養になっているはず。
分かりやすく言えば、スポーツ選手のトレーニングと同じ。例えばオリンピックに出場するような卓球選手なら、ラリーを続けることに関して徹底的に反復練習をする。トップレベルの卓球だと、頭のなかで考えてから反応していては遅すぎる。
相手が打ち返したボールに対して、ほとんど反射的に反応できるまでトレーニングを積む。まさしく身体に覚えさせるという練習。ボクは好きな映画を繰り返し観ることで、それと同じ効果を目論んでいる。たしかな証拠はないけれど、きっと無駄になっていないはず。
ということで、今日も何度も観ている映画を鑑賞した。
『ALWAYS 三丁目の夕日’64』という2012年の映画。
シリーズの3作目だけれど、個人的には一番好きかもしれない。東京オリンピックが開催された1964 年の東京が舞台。前2作で提示されてきた主要登場人物のエピソードが、この作品で結実しているように思う。そしてそのことに感動を覚え、何度も涙する。
このブログでは何度か触れているので、詳細は割愛しよう。とにかく今日もよく泣いた。この映画のテーマ音楽を耳にするだけで涙が出てくるくらいだから、かなりの回数を観ているということだよね。
ということでこのブログの約1500文字を、20 分足らずで書いた。これくらいのペースで入力できたら、仕事に支障はないね。当分はこの外付けキーボードで仕事をしながら、なんとかしてもう1台のパソコンを復活させるとしよう。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。