SOLA TODAY Vol.358
人間は成功体験を得ると、それは自分の努力のおかげだと思う。だけど失敗すると、それは不運だったと考える。たしかにそうかもしれない。
その一方で、「努力は必ず報われる」と豪語する人もいる。それは「運」なんて関係ない、という風に聞こえる。あるレベルの努力をすれば、必ず目的としていた成功地点に達するという意味に取れる。
だけど実際に努力を重ねている人は、努力が報われないことがあるのを知っている。もちろんそう感じるとき、本人が思っている以上に努力が足りない場合や、その方向性が間違っていることもあるだろう。だけど真っ当な方向で努力を重ねていても、「運」というものに振り回されているように感じる。それほど結果というものは残酷だということ。
はたして「運」というものは存在するのだろうか?
なぜ成功する人は運を味方につけるのか?経済学があかした「運」の大事さ
この記事は、経済学者であるロバート・フランクが書いた『成功する人は偶然を味方にする』という本を紹介する内容。興味深い内容だったので、この本を読んでみようと思える内容だった。
この本で紹介されている社会学者の実験に、「ミュージックラボ」というものがある。
まだ無名のインディーズバンドを48組集めて、バンド名と自分たちの代表曲をアップしたウェブサイトを作る。そのサイトを訪れた人は、自由に曲をダウンロードできて、評価することができる。さて最高の人気を獲得するのはどのバンドなのか?
結論から言えば、音楽の客観的な良さでは人気を獲得できなかった。努力と才能で素晴らしい楽曲を創造しても、そのことだけで選ばれない。
人気が出たバンドの要因は、初期にダウンロードした人たちの評価だった。たまたま最初にサイトを訪れた人が、この曲がいいと支持する。それはあくまでもその人の個人的な好みでしかない。だけどあとに続く人は、最初の人の評価に影響を受けてしまうという結果が出た。
つまり最初に誰がどのバンドを選ぶかは、「運」に左右されているということ。そのわずかな差によって、ひとり勝ちするような現象が起きる。シビアだけれど、そういうことはあると思う。
この本に関しては読んでみないとなんとも言えないけれど、ボクなりに「運」と「努力」について思うことがある。
まず努力を努力だと思っているうちは、成功に届かないと思う。ボクの現状から言えば、あくまでも想像だけれどねwww 例えば小説を書いていると、それなりに努力を要することはある。仕事というものは憂鬱なものだから。
だけどそれ以上に、書くことが楽しい。だから調子よく書いているときは、時間を忘れている。2時間くらいが数分に思えることもある。もちろんうまくいかなくて、ちっとも時間が経過しないこともある。
どちらにしても、自分はこれだけ努力したんだと思っている限り、それに対する報いを求めようとする。だけど所詮は結果がすべての世界だから、そんな感覚で小説を書いていたらしんどいだけ。努力の量で評価されるわけじゃない。ダメなら次、という意識転換ができなければ、努力を認めてくれない世間を呪うだけで終わってしまう。
そういう意味で言えば、「運」はたしかに存在する。ボクが初めての本を出版できたのも、出版社の編集長さんがボクのブログをたまたま読んでくれていたから。アクセスが殺到するようなブログじゃなかったから、まさに運が良かったというしかない。
だけど「運」というものは、やって来るのを待つものじゃない。こちらから引き寄せるものだと思う。
簡単に言えば、「下手な鉄砲も数打てば当たる」ということ。
自分は不運だと嘆いている暇があるんだったら、次のプロジェクトに邁進するほうがいい。打率を上げることよりも、打席数を増やすことが大切だろう。そうして打席に立ってバットを振り回していたら、ボールに当たることが必ずある。それを人は「運」と呼ぶのだろう。
もちろんきちんとしたスイングを身につけないと、一発屋で終わってしまう。プロのレベルに達することが最低限求められる。そこに至る行為を「努力」と呼ぶのだと思う。でも自分のやっていることが心底好きなら、必ず一定のレベルまで到達できるはず。
とまぁ今のボクは、こんなことを考えている。だけどこの本を実際に読んだら、その意見が変わるかもしれないね。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
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