愛のカタチは不滅だけれど…
朝から暴風雨を覚悟していたけれど、ブログを書き始めた午後4時半で、まだ雨はひと粒も降っていない。大雨洪水警報、暴風警報は出ているんだけれどね。台風対応の気持ちができあがっていただけに、なんとも言えない複雑な気分。
風はかなり強いけれど、これだったらいつもどおりに傘なしで買い物に行けたよなぁ。どうしてブツブツ言っているかというと、今日と明日しか使えない、スーパーの割引券を持っていたからw
まぁ、無理に買い物に出かけたって、必要ないものを買ってしまったら意味がない。結果的に出かけるほうが金銭的には無駄が多いからね。買い物に行く時間で仕事もできたから、自宅待機にしてよかったと思う。
それにしても自宅待機と簡単に言うけれど、我が家の場合はマジだから。大抵は妻と一緒に出かけるので、引きこもりということは、二人とも引きこもっている。つまり、玄関の扉はまったく開かないということ。
15日の金曜日に4日分の買い物をしているから、次に買い物に出るのは19日の火曜日。だから15日の午後から19日の朝まで、一度も玄関の扉の開閉がない。普通の家では考えられないだろう。
だけど我が家では、よくあること。それほど家にいるのが好きなんだよね。今日も明日も、しっかりと引きこもって仕事をしつつ。映画を見たり、読書をしたいと思っている。
さて、昨日はめちゃめちゃ懐かしい映画を観た。
『ある愛の詩』(原題:Love Story)という1970年のアメリカ映画。
説明する必要のない、恋愛映画として代表的な作品。25愛の妻が不治の病で亡くなるという、悲劇のラブストーリー。フランシス・レイによるこの映画のテーマ曲は、映画を観ていなくても、聴いたことがない人はまずないだろう。
ボクがこの映画を初めて観たのは、おそらく中学生か小学校の高学年のころ、テレビで放送されたものだと思う。切ないこの物語に感動して、涙したものだ。まだろくに恋愛経験もないのにね〜w
それから何度か観ているけれど、かなり久しぶりにこの映画を観た。おそらく20年以上は経っているかもしれない。それで感じたんだけれど、ちょっと昔と印象がちがっている。
二人の愛のカタチは不滅だと思う。そして映画のテーマはそこなので、決して色あせていない。ライアン・オニール演じるオリバーが、ラストで語る名台詞がある。
「愛とは決して後悔しないこと」
まさにそのとおりなんだけれど、どうもこのオリバーのキャラに違和感を覚えてしまった。以前にはあまり感じなかったんだけれどね。
彼はなぜ、あそこまで父親と反目したんだろう。子供時代に虐待を受けていたわけでもないし、理不尽な扱いをされたこともない。浮気しまくって、母親を苦しめていた形跡もない。ただ富豪の父親として、自分の望む道を押し付けようとしていただけ。それは強引ではあるけれど、息子に対する愛情の裏返しでもある。
でもオリバーはそのことに徹底的に抵抗する。お金持ちであることが、まるで不潔であるかのように忌み嫌う。このキャラの演出は、どうも過剰だと思えてしまう。成人して自立しているのに、普通あそこまで抵抗するだろうか?
適当に付かず離れずの距離を保って親とつきあうこともできたはず。それなのに妻が病気なったとき、父親に治療費を貸してもらうのに、自分の女性問題を解決する金だと答えてしまう。ちょっと変だよねぇ。
もしこのキャラを通すんだったら、人間的に問題を抱えていることを示したくなる。ボクが小説に同じキャラを登場させるとしたら、どこか精神が破綻している部分を記述したくなる。あまりにリアリティに欠けるキャラ。ボクにはそう思える。
たまに過去の映画を観ると、感じ方のちがいを楽しめていいかもしれない。人間というのは同じ価値観に固執している部分と、めまぐるしく変化する部分を合わせ持っているのかもしれない。そのバランスによって、今の自分ができているんだろうね。
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