困ったら死なせるのか?
今日も秋晴れの神戸。歩いていると汗ばむほどの陽気だった。ボチボチ木の葉が色づいてきたので、そのうち六甲山も見事な紅葉を見せてくれるだろう。
まだ11月に入ったばかりだけれども、外出しようとマンションのエントランスまでやってきてビックリ!
クリスマスツリーが飾ってあった。1年ぶりに見るけれど、やっぱりいいものだよね。気ぜわしいと感じつつも、どこかウキウキする。
クリスマスツリーを見て思い出したけれど、来年の分からボクは年賀状を完全にやめる。何年も前からほとんど止めていたのに等しいけれど、どうしても年賀状だけしかやり取りしない人がいて、細々と続けていた。
SNSに切り替えてメッセージで年始の挨拶ができるようにしたいけれど、そういう人に限ってTwitterもFacebookもやっていない。言い換えればその程度の関係なので、あえてつながりを断つことにした。
本当にお世話になっている人には、ネットを通じて新年の挨拶ができる。今やネットでつながっていない人は、親戚でもない限り人生の接点がないのと同じ。1年に1度年賀状を送るだけの人に、時間を割いているほど暇じゃない。先方はあいも変わらず送ってくるだろうけれど、そのまま放置するつもり。キリがないからね。
さて、昨日はラストでひっくり返りそうになる、とんでもない映画を観た。
『メッセージ・イン・ア・ボトル』という1999年のアメリカ映画。観たつもりで放置していたけれど、どうしてもストーリーが思い出せない。どうやらつもりだけで、観ていなかったらしいw
ロビン・ライトが演じるテリーサは、離婚して新聞社で働きながら息子を育てている。ある日、海岸でメッセージの入った空き瓶を発見する。愛する女性に送ったものだが、その美しい文面を読んで心惹かれ、その人物を探そうとする。
そのメッセージを書いたのは、ノースカロライナの海辺に暮らすギャレットという人物で、ケヴィン・コスナーが演じている。2年前に画家の妻を病気で亡くしたが、まだその死を受け入れることができない。そんな切ない思いを綴り、あの世の妻に届けようと海に流していた。
恋愛映画としていいスタートだった。新聞社の人間ということをテリーサが隠して接触したことで、トラブルになることは想定内。妻の面影をいつまでも引きずるギャレットが、やがて新しい恋に目覚めることも想像できる。
だけど遠距離恋愛なので、予定調和とはいかないだろうと思った。ギャレットは都会で暮らせない男だし、エリーサはシカゴの新聞社で出世して専用のオフィスを持つことになった。だからどんなエンディングになるのか期待していた。原作小説のある作品だから、きっと納得できるはず。
ところがもう開いた口がふさがらない。何よこれ?
ギャレットはようやく気持ちを切り替え、亡くなった妻に本当の意味で別れを告げるため、最後の手紙をしたためた瓶を手にして嵐が近づく海に出る。そしてテレーサの元に向かうつもりだった。ところが嵐で遭難している船に出会い、その家族を助けるために死んでしまう。
はぁ? これで終わりなの?
そこで原作者の立場になって想像してみた。この二人はどう考えてもうまくいかない。一時的には一緒に暮らしたとしても、どちらかが譲歩しなければ成り立たない関係であることは明白。そこで死んでしまったことにして終わらせようとしたのでは?
どうもそうとしか思えないような、不自然な終わり方だった。これでは悲劇にもならない。おいおい、困ったら死なせるのか? と原作者に向かって言いたくなった。こんな終わり方では涙も出ない。最後まで観た時間を返してくれ、と言いたくなる。
途中までいい雰囲気だったからね。ギャレットの父親を演じたポール・ニューマンの素晴らしい演技がもったいない。登場する俳優さんが良かっただけに、かなり残念な作品だった。
ちなみにハリーポッターで大活躍するハグリット役のロビー・コルトレーンが、エリーサの上司役で出演している。どこかで見たことがあると思っていたが、妻に言われてようやく気づいた。なかなか素敵な上司役だったよ。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。