30代と50代の違い
今日の神戸は、昼間なら雨は大丈夫と昨日の予報。でも見事に外しやがった。
午前中に出かけるとき、すでにかなりの本降り。帰り道は少し小降りになったけれど、結局夕方になっても雨が降っている。実は今日から馴染みのスーパーが2週間のリニューアル工事に入るので、少し勝手がちがう。だから傘を持って歩きたくなかったんだけれどね。
自動車があればそれほど困らないけれど、歩いて買い物に行くボクたち夫婦としては、いつものスーパーが休むのは少し辛い。だけどその近辺はスーパーの乱立地帯なので、うまく使い分ければなんとかなりそう。今日もそれなりに買い物ができた。
午後からは集中して仕事。新しい小説に4回目の推敲をかけているけれど、この段階に至って大幅に文章を削りまくっている。すでに1万字ほど削ったけれど、とにかく時間がかかる。終了予定の下旬まで残り時間が少なくなってきたので、若干焦っている状態。でもここで手を抜けないからね。
この小説が完了したら、すぐに次の作品に入るつもり。以前にもこのブログで述べたけれど、50代のボクでないと書けない小説を意図している。
そこでずっと考えているのが、30代と50代のちがい。
ボクが考えているのは決して50代の利点じゃない。悲しいかな、そこから攻めようとはまったく思っていない。どう考えても50代ゆえの利点を探すなんて無理。30代のほうがいいに決まっているwww
いやいや、そんなことはない、という同年代の人もいるだろう。20年という時間をかけて得た『経験』があるじゃないか! そう言われるかもしれない。
でもね、そんな『経験』なんてたかが知れている。自分の人生に真剣に取り組んで、燃え尽きるかのようなストイックな20年を過ごし、他人を黙らせるような圧倒的な結果を出している人なら、それは貴重な『経験』だと言っていい。
だけど50代になって、ようやくリベンジしたいと思っているような人間の『経験』なんて、さして自慢できるものじゃない。そこにあるのは、ああすればよかった、こう選択したらよかった、というような後悔ばかり。
むしろそうした『経験』によって、不必要な先入観を肥大化させているだけかもしれない。それを大事なものだと思い込んで、手放さないように必死になっているのなら、そんな『経験』は邪魔でしかない。
だからこそボクは利点を探しているのではなく、欠点を探している。なぜならその欠点こそが、50代まで生きないと理解できないものだから。今は自分の心を少しずつ掘り下げて、そんな欠点を暴き出そうとしている最中。
今のところ見つけているのは、先ほど書いた『後悔』だね。だからと言ってその『後悔』が、前に進むためのエネルギーにはならない。そこから何が生まれてくるか?
それは『焦り』という感情。50代になると、人生の終焉が見えてくる。だから後悔してやり直そうとする時間が、残り少ないと感じてしまう。待っているのは強烈な『焦り』という、胸をかきむしりたくなるような不快なもの。これを小説の材料として取り上げ、料理していくつもり。
だけど物事には2面性がある。欠点というのは、同時に利点も孕んでいる。だから50代に利点がないわけじゃない。
50代の利点をあえてあげるとしたら、30代の人よりも『今』を見ているということ。
若い世代は未来を見て生きている。将来こんな仕事をやりたい、こんな家が欲しい、こんな家族を持ちたい。
だけど50代は先ほども書いたように、未来にそれほど期待が持てない。人生の終焉がチラチラと見えるから。だから10年先のことを考えるより、来月のことに意識をフォーカスさせている時間のほうが多い。
そこから想像すると、70代の人はもっと『今』を見ていると思う。例えば、今日食べるもので失敗したくない、と真剣に思うはず。まずいものを食べたら、結構へこむ。だって残されている食事の回数が限られているから。30代の人ならそこまで落ち込むことはないはず。
とまぁ、最近はこんなことばかりを考えている。欠点は利点にもなる。だから50代ゆえの自分のネガティブについて、逃げずに真剣に向き合っていこうと思っている。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。