人類が次に迎える進化とは?
今日の神戸も秋晴れ。ここのところ気持ちのいい天気が続いている。でも明日は雨らしいので、ちょっぴり憂鬱。1日置きに買い物へ出る日なんだけれど、いつもより遠方に出かけるので雨はあまりうれしくない。天気のことなので、仕方ないけれどね。
さて、ボクの朝の行動は、ほぼ365日同じだと言ってもいい。神戸を離れない限り、自宅では笑うほど毎日同じことを繰り返している。
起きてすぐにミューナのトイレを掃除して、それから朝食を食べる。朝食後の食器を洗い、歯磨き等の洗面。そしてミューナのブラッシングをしてから、部屋の掃除をする。そこから朝のブログを書いて、あとはそのまま仕事をするか、買い物に外出するかのどちらか。
朝の掃除が終了するまでは、ほぼ無意識で行動できる。無意識というと大げさに思うかもしれないけれど、ホラー映画のゾンビとたいして変わらないのは事実。習慣によって身につけた本能だけで動いている。だからまったくちがうことを考えながらでも、気がついたら掃除が終わっているという状態。
だけど最近思うことがある。自分の人生において新しいことをやって行こうとするのなら、こうした日々のルーティンワークに、もっと意識を向けるべきだと感じている。勝手に身体が動くので、用事を済ませることはできる。だけどそれでは何も変わらない。
同じことをやりながら、その瞬間しかないものを見つける『目』を育てるべきじゃないだろうか? 同じだと思っていても、必ず今日しか体験できないことがあるはず。日常の同じ生活のなかに微妙な『新しさ』を見つけることができないと、本当の意味で新しいことをやっていけないように思うんだよね。
それは個人だけでなく、人類という種もそんな時代を迎えているように感じる。そう思わせもらえる本を読んだ。
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』下巻 ユヴァル・ノア・ハラリ著という本。
先日にこのブログで紹介した本の、下巻を読了した。いや〜、本当に面白い本だった。世界的なベストセラーになったのは当然だろうね。
ホモ・サピエンスの始まりからスタートするけれど、時系列に語られているわけではない。人類の歴史で起きた起点となる出来事を振り返りつつ、現代までの影響が俯瞰的な視点で述べられている。
だから変な言い方だけれど、読み終わって自分がとても賢くなったような気がした。人類のクソ長い歴史を短い時間で脳にインストールしたような気分になる。そんな不思議で魅力的な内容だった。
ホモ・サピエンスという今の人類が他の種に勝ったのは、上巻の感想でも述べたけれど『虚構を信じる力』だということ。言い換えればそれは『想像力』ということになる。
人間が人間たるゆえんは、この『想像力』があってのこと。現代社会においては、そのことをモロに実感することができるはず。こんなものがあればいいなと思うものが、あっという間に具現化されている。その根底にあるのが、『想像力』であることに疑いを持つ人はいないだろう。
ただし未来はどうなるのか? 人類が次に迎える進化は、『想像力』だけではダメかもしれない。この本ではそういうことが最後に書かれている。
万人単位で数えることのできたホモ・サピエンスは、今や地球上で70億という数に達しようとしている。この爆発的な人口増加によって、絶滅してしまった種は数え切れない。その多くは人類の影響によるもの。果たして人間はどこに行こうとしているのか?
この本で著者が語っているけれど、本当の意味でノーベル平和賞に値するのは、核兵器を発明した科学者だろうとのこと。悲しいかな、それはある意味正解でもある。第二次世界大戦後に他国を侵略するという戦争がほとんど起きていないのは、核の抑止力であることは事実。
さらに経済のグローバル化によって、戦争という行為が割りに合わないことが明白になっている。緊張感を保ちつつも、国家間の貿易を順風に乗せる方が政治家や経済界にとって利するところがはるかに多い。だからといって、このままでは薄氷の上で生活しているようなもの。
『想像力』を超える何らかのパラダイムシフトが起きなければ、人類は次の段階に進めないのかもしれない。この本はそのことを訴えて終わっている。おそらくそのことを誰もが感じているから、ベストセラーになったのだと思う。
ボクは個人としては、『ワンネス意識』しかないと考えている。これについて語ると長くなるのでやめておくが、人間の自我の境界線を地球規模まで広げることが、『想像力』の本来の使い道だと思っている。そんなことを感じさせてもらえた、素晴らしい本だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
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