粘りと諦めの境界線
最近注目している科学者に、落合陽一さんという人がいる。まだ30歳という若さだけれど、最先端の科学技術を駆使して実用化できるものを研究開発されている。企業の経営者でもあり、博士号を持っている研究者であり、筑波大学等で教鞭も取られている。
その落合さんを追っかけた『情報大陸』というTBSの番組が先日放送された。うっかり見逃したボクは、ようやく昨晩に『TVer』というスマホアプリでこの番組を見た。ちなみにこのアプリ便利だよね。見逃したテレビ番組を好きな時間に見ることができる。
そのドキュメントは最高だった。わずか30分という短い時間だけれど、落合さんという人物の魅力が圧倒的なパワーを放っていた。平均睡眠時間は4時間くらいで、同時進行しているプロジェクトに集中されている。Twitterもフォローしているけれど、ここのところは2時間睡眠が続いているとのこと。
お父さんは作家の落合信彦さんなので、小説家になりたいと思ったこともあったらしい。だけど今は科学者として世界中の注目を集めている。とにかく休まない。そして諦めない。
メガネのレンズを使わず網膜に視覚データを照射することで、近視の人も老眼の人もくっきり見える技術の論文を完成させるときの鬼気迫る雰囲気は、見ていてめちゃ興奮して刺激を受けた。この装置が実用化されたら、ボクみたいな視力三重苦人間にとっては最高の朗報になるだろう。
あの不屈で最後まで諦めない姿は、ボクの心に強く残っている。まだ彼の著書を読んだことがないので、近いうちに読んでみるつもり。こんな優秀で若い科学者が海外へ流出しないように、日本の学会も真剣に検討するべきだと思うなぁ。
さてそんな落合さんの姿を見ていて、ボクも諦めないことの意義を再認識している。だけど科学者とちがって小説を書くということは、粘りだけに執着するとかえって遠回りをしてしまうと思っている。
どこまで粘って、どこで諦めるか。その境界線を意識する必要がある。それは作品の完成に関しても言える。推敲すればキリがない。粘り強く読み直して訂正することは必要だ。でもどこかで諦めることも考えなくてはいけない。
先日完成した新しい小説も、初稿のあとに6回推敲している。その気になれば7回でも8回でも可能だけれど、どこかでキリをつけなくてはいけない。そのために締め切りを設けることが大切になってくる。
そしてもうひとつの境界線は、完成した作品をどれだけ粘り強く売り込むかということ。例えばある小説を完成させて、それを複数の出版社に送ることもできる。同時投稿を禁じる出版社に対しては、タイトルを変えて出すことも可能だろう。
自分の作品を売り込むということに関して、その粘り精神は必要かもしれない。だけど弊害も多い。そのひとつは『下読み』という制度。大手出版社の文芸賞の投稿にはかなりの数の作品が集まる。それらを忙しい編集者の人は目を通している時間がない。
だからフリーライター等の人に『下読み』を依頼していることがほとんど。なかには複数の出版社の『下読み』を掛け持ちしている人がいるので、タイトルを変えても同じ原稿を読ませてしまうことがある。そんな場合、そこで弾かれてしまう。
そして最大の弊害は、新しい作品が作れないということ。小説を完成させたら、速やかに次の作品に向き合うべきだと思っている。ひとつでも多く作品を完成させることで、技術が向上していく。だけど既存の作品の焼き直しばかりに時間を注いでいたら、新しいものが生み出せない。
そうなると粘りと諦めの境界線が必要となる。ボクの境界線は『セカンドオピニオンまで』というもの。
どこかに投稿して落選した作品でも、もう一度だけ書き直して他社に投稿している。運が悪くて同じ『下読み』の人の目に触れることもあるだろうけれど、もしかしたら相性のいい人に読んでもらえるかもしれない。だからひとつの作品に2度目のチャンスをあげるようにしている。
今年の10月まで大手出版社の最終選考に残っていた作品は、実はその『セカンドオピニオン』で浮上した小説だった。だから決して無駄な行動じゃないと思っている。実際に過去の直木賞で、他社の文芸賞で一次落ちした作品が受賞したことがあったらしいw
ということで2日前に新作を完成させたボクが今取り組んでいるのは、今年の春に投稿して最終選考に残らなかった作品のリライト。といってもかなり書き直しているので、リノベーションに近い状態かも。とにかく年内に完成させて、『セカンドオピニオン』を受けてもらうつもり。
創作ということに関しては、粘りは必然だけれど、諦めも大切だということ。どこかで境界線を設けておかないと、生産性の悪い無駄な時間を費やすことになるからね。往生際の悪い粘りは、百害あって一利なしということだろう。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。