ルブリンの魔術師
冬至から一夜明けて、今日から少しずつ昼の時間が伸びていく。そう思うだけで、なんとなくワクワクする。長いトンネルを抜けたような気分だなぁ。
今日から新しい年中無休がスタートした。今日の午前と午後もしっかり仕事。夕方になってストーリーに行き詰まって終了したので、モヤモヤ感を抱えたままでブログを書いている。まぁ、こんな毎日のくり返しだということ。
とりあえずクリスマスとお正月に仕事ができたら、あとは体調管理に気をつければ年中無休は問題なし。あっ、そうだ! ギックリ腰等の怪我には要注意だよね。ギックリ腰を何度も経験しているけれど、寝返りするのも辛い。あの状態で仕事をするのはかなりキツイかも。
仕事を休まず続けようとすることは、健康管理にも役だつように思う。そういう意味ではアスリートや、舞台俳優さんと共通する部分があるかもしれない。過度な自己節制はよくないだろうけれど、やはりある程度は必要になる。人間というのは、それほど心の強い生き物じゃないから。
誘惑や欲望、あるいは怠惰心というのは、油断すれば心に忍び込んでくる。そこに功名心や金銭欲がからむことで、本来の自分を見失ってしまう人がいる。そんな人間の心模様が見事に描かれた小説を読んだ。
『ルブリンの魔術師』アイザック・B・シンガー著という本。
ボクが最近ハマっている作家。1991年に亡くなっているけれど、1978年にはノーベル文学賞を受賞している。もともとはポーランドで生まれ育ったユダヤ人で、第二次世界大戦の直前にアメリカへ移住している。イディッシュ語という東欧のユダヤ人に残る言語で小説を書き続けた作家。
彼の作品にとても心惹かれる。それは現実世界のとらえ方がボクとよく似ているから。物質世界としての認識だけでなく、世界に対して形而上学的な視野を向けている。魂の世界を否定せず、人間という存在を多角的に見ようとしているところが大好き。
この物語は19世紀のポーランドが舞台になっている。ポーランドはドイツやロシアに挟まれた国。それゆえ、日本人には理解しづらい民族的な不安を抱えている。この物語にも、そうした背景が感じられる。
主人公のヤシャは魔術師。といっても今ふうにいえば、イリュージョンの使い手という雰囲気かな。ルブリンという街に妻を残し、ワルシャワを中心にして国内を公演している。どんな鍵でも開けることができ、綱渡りも得意な身軽さ。彼の夢はイタリアやパリに進出して、ヨーロッパで有名になることだった。
困ったことにヤシャは自由奔放に生きている。妻がいながら、助手とは愛人関係にあり、その他にも恋人が各地にいる。そのうえエミリアという女性に惚れ込み、彼女とイタリアに移住して新しい生活を始めたいと真剣に考えていた。
でも根っからの悪人じゃない。愛する女性たちを見捨てていけない。妻には生活できるだけの財産を残したかったし、助手の家族の生活が成り立つようにしてやりたい。そしてエミリアと生活するためには、イタリアに家を買わなければいけない。なんとか仕事を頑張ることで、そのための費用を稼いでいた。
ところがヤシャは行き詰まってしまう。どうしてもお金を貯めることができない。そこで思いついたのが泥棒。ある金持ちの老人が自宅に大金を置いている。魔が差したヤシャは、得意の軽業と鍵を開ける技術でお金を奪おうとする。
そんなヤシャは罪悪感を捨てきれない。いざ侵入するとヘマばかりやらかす。簡単に開けられる鍵を緊張で開けられないだけじゃなく、逃げようとして足を痛める。おまけに自分が犯人だという証拠まで落としてしまう。
このままでは怪我で舞台に立てないし、もしかすると警察に逮捕されるかもしれない。失意のまま宿舎に戻ると、ヤシャの女性関係に失望した助手の愛人が自殺していた。ようやく自分がどれだけ多くの人間を苦しめていたかをヤシャは知ることになる。
最終的に彼は『悔悟者ヤシャ』として生きることを決意する。そこからの彼の人生は壮絶だった。3年をかけて彼は自分の償いを果たそうとする。それを支えてくれたのはルブリンで待っていてくれた妻だった。
読んでいるだけで胸が苦しくなってくる。ヤシャの心に感情移入すると、生きていることの辛さを思い知らされる。自分が知らないうちにどれだけの人を苦しめていたのか、と考えさせられる。そんな想いを引きずったまま、ラストでエミリアからの手紙が届く。
その手紙を読んだ瞬間、ヤシャは自分の償いの日々が無駄でなかったことを知る。読者も彼と同じ気持ちを味わうだろう。まさにこれこそ著者のシンガーが読者にかけた『魔術』かもしれない。とても深く心に残る物語だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。