人生を支える原動力
今日は都道府県対抗全国女子駅伝。ボクはこの駅伝が大好き。都道府県対抗なので、チームは中学生から社会人までの混成だから面白い。そして競技の舞台が出身地の京都だというのも好きな理由。だから毎年必ず中継を見ている。
地元の京都はいつも優勝候補。でも今年は2区で出遅れて優勝を逃してしまった。その代わり現在のボクの地元である兵庫が14年ぶりに優勝した。そして京都も長崎とトラックレースまで持ち込んで、2位に食い込んだ。いや〜、今年もめちゃ面白い駅伝だったなぁ。
必死で中継地点まで走ってきて、次の走者にタスキを渡すときの選手の表情がいい。笑顔でやり取りしている人たちもいれば、緊張した様子で視線を交わしているときもある。今日なんかタスキの受け渡しのとき、同じチームの選手が交錯して転倒する場面もあった。
その時々によってちがうだろうけれど、タスキを手にした選手は、次の選手に何かを伝えようとしている。このあとをお願い、頑張って、ごめんなさい等、いろいろあるだろうね。でも何かを伝えようとしているのはまちがいない。
そんな選手たちを見ていて、『伝える』ということは、人生を支える原動力じゃないだろうかと思った。
ボクたち人間は生まれてから死ぬまで、何かを『伝える』ために生きている。極端な言い方をすれば、『伝える』ことなしに生きていけないと思う。
生まれてすぐの赤ちゃんは、自分の願いを泣いて『伝える』。お腹が空いた、オムツが気持ち悪い等のことを、泣き声で『伝える』。
思春期になって気になる異性に告白するには、『伝える』ことなしには無理。恋人と別れたいと思ったら、やはり『伝える』ことが必要になる。誰かの悪口や罵詈雑言も、『伝える』ことのひとつだよね。
当たり前のことだけれど、人間として家族や職業を持って生きていくということにおいて、『伝える』ことは絶対的に必要。そこからすべてが始まり、すべてが終わっていくんだと思う。
何も言わないでずっと黙っていたら、何も起こらない。人間関係という化学反応は、『伝える』ことを通じて媒介される。ボクが小説を書くのも、何かを伝えたいからだし、音楽や絵画も同じだろう。
事務職の仕事や、コンピュータのプログラマーだって、その仕事に関わる人たちに何かを『伝える』ことが求められる。人間が生きていくうえで、「伝える』ことをしなければ、生きている意味がないと言っていいのかもしれない。
ペットの動物たちだって同じ。常に何かを飼い主に伝えようとしている。愛や思いやりだけでなく、悪意や敵意も『伝える』ことなんだろう。そうして伝え合うことで、ドラマが生まれていく。うまく言えないけれど、なんだか素敵だなぁと思った。
人は『伝える』ことでフィードバックを得る。自分が「伝える』内容によって、相手を喜ばせることができたり、反対に悲しませることもある。そういうことをくり返して、ボクたちは伝え方を学んでいくんだろう。
そのときに必要となるのが『想像力』だと思う。
相手がどのように感じるかという、他者への想像力を育てることで他人の心の痛みがわかる。でもそれは『伝える』ことを続けてきたから可能となること。まずは『伝える』ことが先行するんだろうね。
駅伝を見ていて、そんなことを考えていた。
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