SOLA TODAY Vol.503
言葉というものが持つイメージはパワフルなもの。そのイメージだけが先走りして、実態とかけ離れていることは多い。
『徘徊』という言葉を聞いて、どんなイメージを持つだろうか?
認知症を患った高齢者が、ぼんやりとして街をさまよっている映像を頭に浮かべる人が多いはず。ボクもそうだった。
ところが実態はまったくちがうと初めて知った。
認知症になると場所や時間の感覚がわからなくなる『見当識障害』というものが見られる。その症状が出たことによって街をうろつく状態が、徘徊と呼ばれている。だけど最初に書いたとおり、ぼんやりして夢遊病者のようにさまよっているわけではない。
この記事に認知症を患った人の体験談が紹介されている。その内容を読むと、『見当識障害』がどのようなものかリアルに想像することができる。
まったく自分のことがわかっている状態で、普通に家を出る。どこに向かっているかもわかっている。ところが突然頭が真っ白になり、自分がどこにいるのかわからなくなるらしい。
自分が誰で、どういう人生を歩んできたかの記憶がある。だけど道がわからない。今歩いている道がどこに向かい、どのように自宅とつながっているのかわからなくなってしまう。
必死で気持ちを落ち着けるけれど、パニックになるのは当然。道を歩く人に聞きたいけれど、自意識が明確なので恥ずかしくて聞けない。この記事で体験談を述べている人は、180度振り向けば自宅があったのにわからなかった。だけど、どうしようもなかったらしい。
でもその時は30分ほどで記憶が戻った。もうこれで大丈夫と思ったのはそのときだけで、外出するたびに同じ症状が出るようになったとのこと。
『徘徊』という言葉を聞くと、意識もうろうとしてさまよっているように思う。だけど徘徊している本人は、自宅に戻ろうとして必死になっている。ボクはそんな意識状態だとまったく知らなかった。
そういう人と出くわす可能性は少ないと思うけれど、しっかり頭に刻み込んでおこうと思った。そして万が一出会うことがあったら、その気持ちを想像して、ゆっくりと話を聞いてあげようと思う。家に通じる道を思い出せるよう、手助けできたらいいよね。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする