女優として生き続けた人生
天気予報で強烈な寒波がやって来ると聞かされていたけれど、たしかに寒い。風はさほど強くないのに、空気の冷たさを全身で感じた。歩いていて、耳がちぎれそうに痛かった。
マンションのエントランスを抜けようとすると、いつもと雰囲気がちがう。よく見ると、こんなことになっていた。
エントランスの水景が完全に凍っていた。体重の軽い子供なら、乗っても大丈夫かと思うほど氷が厚い。ここまで凍ったのを見た記憶がないので、数年ぶりの寒波だというのもうなずける。まだしばらく寒さが続くようだから、どうにかやり過ごすしかないよね。
冬の冷たさは、いつか春に取って代わる。だけど人生における寒波は、いつ春になるかわからない。女優にとってスキャンダルという寒波を、見事に乗り切った女性の映画を観た。
『イングリッド・バーグマン 愛に生きた女優』という2015年のスウェーデン映画。
映画を観たことがなくても、名前を知っている人は多いだろう。ボクも観た記憶があるのは、『カサブランカ』、『誰がために鐘は鳴る』、『オリエント急行殺人事件』の3作ほど。だけど彼女の飛び抜けた美しさは、その映画だけでも十分に知ることができる。
この映画のタイトルを見たとき、誰が別の女優さんがイングリッドの人生を再現しているのだと思っていた。だって彼女は1982年に亡くなっているから。
だけどそうではなく、ドキュメントのような作品だった。イングリッドは映像好きで、スウェーデンで女優としてスタートしたころから、プライベートな写真や映像を多く残している。そして筆まめで、日記や大量の手紙が残されていた。
そんな彼女の人生を、4人の子供たちの協力によってまとめあげた作品。この映画を観るだけで、イングリッド・バーグマンがどのような女優さんだったのか理解できる。資料映像としても、とても素晴らしい作品だった。
彼女が1938年、つまり第二次世界大戦の前年にドイツで撮影した映像なんて、歴史遺産のようなものだった。戦争前夜のドイツの様子を見たのは初めてだったので、映画の主旨を忘れて興奮してしまった。
あるいは映画のメイキングのような撮影中のプライベート映像や、カメラテストの様子などもあった。2時間ほどの作品だったけれど、映画ファンとしては画面から目を離せなかった。
生涯で3度の結婚をされている。最初の夫はスウェーデン人で、長女をもうけている。そして次の夫がイタリアの映画監督で、他の3人の子供を産んでいる。そのイタリア人監督と結婚したのが1949年だった。
ところが不倫という状況でイタリアに行き、アメリカに夫と娘を置いてきている。当時では大スキャンダルで、ハリウッドから完全に締め出されている。今の日本だって、文春砲で引退する有名人が出ているものね。だから当時は大変だったろう。
しばらく不遇の時代が続くけれど、1956年にハリウッドに復帰して、『追想』という作品で二度目のオスカーを受賞している。最終的には3度のオスカーを手にする名女優だけれども、私生活は大変だったよう。
4人の子供たちの証言が、彼女の女優としての生き様を見事に語っていた。母親としては素晴らしい女性だったらしい。その点に関して4人の子供の意見は共通している。それは写真や映像からも知ることができる。
だけど本質的には女優だったらしい。映画の撮影や、芝居の舞台に立つことが、イングリッドの生きがいだった。幼いころは引っ込み思案で、そんな自分を解消しようと演劇の世界に飛び込んだ。セリフと役柄があることで、どうにか自分と向き合える。
だからアドリブが求められる演技は不得手だったとのこと。自分とはちがう別人のキャラとセリフを話すことで、どうにか自分の精神のバランスを維持しているように感じた。根っからの役者であり、女優として生き続けた人生なんだと思う。
機会があれば、ハリウッド復帰作となった『追想』という映画を観るつもり。スキャンダルを乗り越え、女優としての『何か』を掴んだ彼女を見ることができそうだから。ノンフィクションだけれど、とても感銘を受けた作品だった。
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