情報中毒に要注意
2月も後半に入ったけれど、まだまだ寒さがきびしい。今朝も家を出たとき、空気の冷たさに思わず身をすくめてしまった。
それでも散歩していると、あちこちで梅の花を見かけるようになった。早咲きの桜も、つぼみを大きくふくらませている。午後の日差しを浴びて自宅に続く坂道を登っていると、少し上着が邪魔に感じるようになった。春はそこまで来ているね!
そんな小さな春を感じながらも、歩いていると気になることがある。それはスマホのニュース。
たしか今日は平昌五輪で女性のスピードスケート500mがあったはずだよな。何時ごろに決勝があるのか把握していなかったので気になってしまう。だから歩いている途中でスマホを取り出して、速報が入っていないかつい確認してしまった。
あるいは出かける前にバタバタしていて、朝からツイートをじっくり見ることができなかったときも同じ。時間があると、ついスマホを手にしてツイートを追いかけている。3〜4時間もすれば、未読のツイートがたまってしまうから。
そうなると追いつくのにかなりの時間を要するので、少しでも見ておこうと思ってしまう。ここまでくると、ある種の脅迫観念じゃないだろうかと思うことがある。
情報というものが大切であることは事実。時代の変化が異常な早さで進んでいるから、ぼんやりしていると知らない単語がネットにあふれている。それをそのままにしておくと、その単語の関連情報が理解できない。
そんなことが積み重なってしまうと、何が何だかわからなくなってくる。あぁ、もうついていけへんわ、と思ったらおしまい。そのことから手を引いてしまい、知らないでいい理由を勝手に捏造する。それが『老害』というものの正体だろう。
だから常に情報を浴びるようにして、気になったり知らない単語は調べる。そして興味を持てないと過去に判断していたものでも、あえて触れるようにしている。そうすると新しい発見があるからだ。
だけど注意しないと、情報中毒になってしまう。常に新しい情報に触れていないと、不安で不安で仕方なくなってしまう。情報が遮断された環境にいると、パニック症状を起こしそうになることもある。まるで依存症患者の禁断症状のように、情報を必死になって求めようとする。
自分の心に余裕がないとき、この症状が起きやすい。どこかであせっているからだろうね。だから中毒症状が出そうになったときは、深呼吸してじっくりと心を落ち着けるようにしている。そして自分に言い聞かす。
『本当に必要な情報は、必ず入ってくる』
これは根拠のない自信だけれど、絶対そうだと確信している。人間には自由意志がないと思っているから、接するべき情報に出会わないことなんてあり得ない。マジでそう思っている。だけど情報中毒になっているときは、そのことを忘れているんだよね。
全身がエネルギーに満ちていて、どれだけ情報収集しても疲れないときはそうすればいい。それはそうであることが、必然だということ。そんなときは、どれだけやっても情報中毒にならない。
だけどヤバいと思ったときは、先ほどの言葉を何度も心でくり返す。そしてスマホから手を離し、ぼんやりとテレビを見たり、ゆったりと小説を読んだりしている。そしてそんなときに限って、めちゃめちゃ重要で貴重な情報が入って来たりする。面白いもんだよね。
『本当に必要な情報は、必ず入ってくる』という言葉を、今日は久しぶりに自分へ投げかけている。
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