魔法の世紀
今日から3月。ついこの前に新しい年が明けたと思っていたのに、もう2ヶ月も経ったんだね。
ということで今日は月初めに恒例となった、排水口掃除の日。朝食後にいつもの掃除を終えてから、台所、洗面所、そしてトイレという水回りの丁寧掃除をやった。
普段から妻が毎日掃除をしてくれているので、綺麗なんだよね。だからボクがやるのは、普段はできないような分解掃除的なもの。目に触れない部分を掃除することで、心の奥深くを洗ったような爽快感がある。よし、これで今月も頑張ろう、という気持ちになれる。
だから掃除させてもらえる汚れが、なんだかありがたい存在のように思えることがある。こればかりは、やった人しかわからないだろうなぁ。
とはいえ、面倒に思う気持ちがないわけじゃない。やり始めたらあまり考えないけれど、掃除をスタートする前には面倒だと感じることがある。魔法使いのように、さっと手を振ればすべてが終了していればいいな、という妄想をしてしまう。
だけど100年前の人が現代人を見たら、とんでもない魔法使いに見えるだろう。手のひらサイズの機械で世界中の人と繋がっている。真夏なのに部屋が涼しかったり、大阪から東京まで2時間強で移動できたりする。
ということは、今から100年後の人類は、ボクたちには魔法使いにしか見えないかもしれない。そんなことを感じる本を読んだ。
『魔法の世紀』落合陽一 著という本。
落合さんの肩書きは、とても一言では語れない。メディアアーティストであり、大学の准教授であり、作家でもある。ボクたちの年代にすれば、落合信彦さんの長男というほうがわかりやすいのかも。でも陽一さん本人は、そんな肩書をはるかに超越した存在だと思う。
筑波大学を卒業してから、東京大学を飛び級で終了して博士号を取ったような人だからね。一般的な概念に当てはめることに、そもそも無理がある。
ボクは落合さんが出演していたテレビドキュメントを見て、その天才ぶりに圧倒された。そして天才なのに、どんな人よりも努力している姿に感動した。彼を見ていると、50代のボクなんて老害でしかないように思えてくるwww
そんな落合さんという人をもっと知りたくで、この本を手にした。そして読了することで、彼が何をやろうとしているか、その概要だけは理解できたように思う。
20世紀は『映像の世紀』だったと落合さんは述べている。だが21世紀は『魔法の世紀』になるだろうとのこと。その意味や理由は、この本を読めば理解できる。難しい言葉を多用されているので、最初はとっつきにくいかもしれない。
でもじっくり読むと、その意図がわかる。あえて簡易な言葉を使用しないことで、誤解が生じる危険性を排除されているのだと、ボクは勝手に判断している。読み慣れてくると、彼の文章はのどごしがいい。すっと心に入ってくる。そんな不思議な文章だった。
なぜ21世紀が『魔法の世紀』なのかと思う人は、この本を読んで欲しい。ボクが簡略化して書くことは、かえってよくないような気がする。
もっとも印象に残っているのは、人間が自分の感覚という文脈から抜けられないこと。目は対象物見るもので、音は耳で聴くものだと思っている。
だけど科学が進化することで、音を目で見ることが可能になる。あるいは映像から、音を再現することもできる。このことを実感できる人とそうでない人との差は、ここ数年でとんでもない距離まで開いてしまうような気がする。
まるで魔法だと思えるようなことが、普通に起きるようになってくるんだと思う。パラダイムシフトといのは、こうしてやってくるんだろう。とても刺激的な本だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。