SOLA TODAY Vol.568
ボクは宗教組織というものが大嫌いだ。人間によって組織化された宗教は、本来の目的を完全に見失っている。
愛や平和というのは名目だけのものとなり、特殊なフィルターで概念化されたそれらの言葉を後ろ盾にして、他の宗教を攻撃する。それが集団化すると、暴力として具現化してしまう。とても悲しい記事を読んだ。
仏教という宗教は、比較的な平和なイメージがある。キリスト教やイスラム教は、過去の歴史において宗教の名の下に、多くの戦争を引き起こし、殺戮を容認してきた。それに比べて仏教は、どこか沈黙を守っているようなところがある。
キリスト教やイスラム教は、イエスやアラーを信仰するという一神教の要素が強い。それに比べて仏教は、己のなかの仏性に気づくことを意図しているからだろう。『誰か』の名を掲げて、信徒を吸引しようという意図が少ないからだと思う。
だけど最近の仏教はそうでもないらしい。スリランカやミャンマーの仏教徒は、死者を出すような暴動を煽動しているとのこと。
その攻撃対象はイスラム教。スリランカでは仏教徒による反イスラムの暴動が起き、少なくとも3人が死亡して、200ヶ所以上のモスクや住宅が破壊されている。
ミャンマーでは、ここのところ問題になっているイスラム系民族であるロヒンギャの弾圧において、裏で糸を引いているのは煽動的な仏教指導者らしい。その結果、70万近い人々が難民としてバングラデシュに逃れている。タイでも著名な仏僧が、イスラム教寺院を焼き払うようにと扇動している。
過去の歴史においては、仏教徒とイスラム教徒はうまく融和していた。ところが近年になって、タリバンが仏教寺院等を破壊したことによって、仏教徒たちが反イスラムを唱えるようになったらしい。目には目を、ということだろう。
でもボクは、そうしたことは単なるきっかけになっただけだと思う。人間の集団というものは、潜在的に暴徒化する要素を持っている。ガスが充満した密室のようなもので、小さな火花で大爆発を起こすこような状況だろう。
人間はすぐに群れたがる。どこかの集団に所属していることで、安心感を持つ。それゆえ、所属している集団が危機を迎えると、自分が信じているものを必死になって守ろうとする。それが宗教だったり、マフィアだったりするだけのこと。
そしてそれらが国家単位に広がると、戦争というものに発展する。組織化や集団化は、いつ暴走しても不思議じゃない。特に宗教のように、人間の心の奥に触れるものはヤバい。だからボクは宗教組織が嫌い。
宗教なんかに関わっていないから、自分は関係ないと思う人は多いだろう。でも、どんな人でもある種の集団に所属したいという願望を持っている。
例えばペットに関しても、犬派、猫派と自称する人は多い。なんでもないことのように思えるけれど、そう宣言する人は自分の所属先を決めている。
「あなたは犬派、それとも猫派?」という質問する人を見ると、ボクは宗教の勧誘と同じような感覚を覚えてしまう。『◯◯派』という言葉で人間をくくってしまうことは、そうでないものを同時に生み出していることに気づいていない。
暴力とは縁もゆかりもないことであっても、人間はそれにつながるものを持っているということ。学校におけるイジメも、根底にあるのは同じ論理。自分の所属する集団以外を排除しようという意識は、この記事のような暴力につながっていくんだと思う。
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