成功はゴミ箱の中に
ボクが生まれて初めてマクドナルドに行ったのはいつだろう?
ネットで調べてみると、日本の第1号店は1971年に東京の銀座でオープンしている。関西での第1号店は京都の藤井大丸店。1972年のことらしい。ボクは10歳だよな。
その藤井大丸店には何度も行っている。でも最初がいつで、どの店舗だったのか、まったく記憶にない。ボクが10代のころに暮らしていた京都の山科では、西友というスーパーの向かい側に最初の店舗ができた。でもその店舗に通うようになったのは、もっと後だったような気がする。中高生のころだろうなぁ。
なぜそんなに記憶があいまいかと言えば、それほどマクドナルドの店舗数が多いから。日本に登場してから、あっという間に店舗が増えて行った。京都の三条河原町のマクドナルドなんか、学生時代に交際していた彼女がバイトをしていたから、日参していたものねw
誰でも知っているとおり、マクドナルトはアメリカで誕生している。それは1954年のこと。まだボクは生まれていない。そんなマクドナルドの創立者が執筆した自伝を読んだ。
『成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝』レイ・クロック、ロバート・アンダーソン共著という本。
共著になっているけれど、マクドナルドを創立したのはレイ・クロックという人物。あれ?、マクドナルドって人の名前だから、創業者はマクドナルドという人じゃないの? そう思ったのはボクだけじゃないと思う。
マクドナルドという人は実在する。兄弟でハンバーカー店を経営していた。徹底した合理化を進め、15セントでバーカーを売り出した。そして現在でもマクドナルドの主力商品である、独自のフライドポテトを開発している。シェイクを作ったのもこの兄弟だった。
レイ・クロックは、そのシェイクを作るマシーンの営業マンだった。ある日マクドナルド兄弟の商売に感銘を受けて、フランチャイズ展開することを提案する。マクドナルド兄弟はその提案に賛成するけれど、かなり自分勝手な人たちだった。
契約に合意しても書面にしようとしない。レイは見切り発信するけれども、いつ契約破棄をされても不思議じゃない状況。人気が出てくると、勝手に別の人物と契約しようとする。そんな不安定な船出をしたマクドナルドだけど、全米展開するまでの企業に成長させたのは、マクドナルド兄弟ではなく、このレイ・クロックだった。
結局わがまま放題のマクドナルド兄弟は、レイ・クロックから多額の報酬を与えられて、隠居生活を送っている。フィレオフィッシュ、ビックマック、ホットアップルパイ等のヒット商品を開発したのは、このレイ・クロックだった。
そして現在まで引き継がれているマクドナルドのシステムを構築したのも、この人。たった3人でスタートした会社が成長していく過程は、めちゃめちゃ面白かった。レイがシェイクマシーンの販売をやめてマクドナルドを創業したのは、52歳のときだった。すごい、50代の星やんか〜〜〜!
だけど並大抵の苦労じゃなかった。FacebookやTwitter社と同じで、成功したベンチャー企業には内紛が起きる。お金に人が群がってくるからね。マクドナルドも例外ではなかった。そうしたいきさつも、かなり詳しく書かれている。
でもレイ・クロックは、そんな苦労を見事に乗り切っている。ボクが感銘を受けた言葉がある。
やり遂げろ───この世界で継続ほど価値のあるものはない。
才能は違う───才能があっても失敗している人はたくさんいる。
天才も違う───恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世にいる。
教育も違う───世界に教育を受けた落伍者があふれている。
信念と継続だけが全能である。
これは、やり遂げることができた人だけが言える言葉だと思う。
とても素敵な本だった。読んだ人は勇気をもらえるはず。だけど空腹時には読まないほうがいい。
だって今すぐ家を出て、マクドナルドに行きたくなるからね。そんなマクドナルドが持つ魅力の秘密を知りたい人は、ぜひこの本を読むべきだと思う。
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