SOLA TODAY Vol.593
人間はイメージを固定化させやすい。ある概念について大勢の人が容認しているイメージを受け入れると、それ以外のものに違和感を覚える。
『忍者』という言葉でどんな姿をイメージするだろう?
人が足を踏み入れない山里に忍者だけが暮らす村があり、大名や藩主の命令を受けて隠密活動をする。敵方の屋敷の床下や天井裏に忍び込み、重要な情報をゲットしたり、寝込みを襲ったりする。
存在を知られた場合、並外れた体力と技術で城の壁を越え、煙とともに姿を消す。ボクの世代だとドラマの『仮面の忍者赤影』がそんな忍者のイメージを支えている。漫画では『サスケ』や『カムイ外伝』かな。
ところが実際の忍者は、そんなイメージとは少しちがうらしい。
幕末の福井藩の史料が明らかになり、その研究によって忍者の実態が公表されている。幕末の福井藩といえば、藩主は松平春嶽。彼は幕府の重臣でありながら、徳川家を大名として残すことで、江戸幕府の解体を画策していた人物でもある。
その当時としては薩長の志士たちに負けず劣らず、時代の最先端を猛進していた藩主だった。坂本龍馬とも交流がある。そんな幕末の福井藩だから、さぞすごい忍者がいたのではないだろうか? ついそう思ってしまう。
でも実態はかなりちがうらしい。この記事によると、たしかに忍者はいたらしい。そして『義経流』と呼ばれる忍術の訓練を日々積んでいる。だけど城下町に堂々と住み、その身分も明かしていた。
普段は忍術の訓練をしつつ、武具の管理や門番という地味な仕事をしていた。情報収集といっても、京に出て貼り紙の内容を控えてくる程度のことだったらしい。身分は足軽で、武士としては最低クラス。だけど給料は、他の足軽よりは多めに支給されていたとのこと。
幕末の福井藩には12人の忍者がいたけれど、明治維新前にほぼ消えている。なぜなら役に立たないから〜www
明治維新前後は、より正確な情報が必要となる。もし一歩まちがれえば、時代に取り残されていく。その象徴は新撰組だよね。だから情報収集は、文才のある藩士や幕府直轄の学校に通う藩士の息子たちを使っていたとのこと。現代の言葉でいえば、忍者というよりスパイに近いだろう。
つまり幕末の忍者は、すでにオワコンだったということ。おそらく戦国時代から江戸時代の初期くらいしか、忍者が活躍する場はなかったのかも。
幕末という激変の時代は、より正解な情報と分析が求められる。さらにそれらを駆使した有力者との交渉力がものを言った。実力と影響力のない人間に、チマチマとした情報収集を命令しているような状況じゃなかったのだろう。松平春嶽という藩主が、時代の最先端を走っていたのよくわかる。
なんとなくだけれど、今の状況とよく似ているような気がする。古い概念に固執していると、あっという間に取り残されていく。もしかしたら現代は、明治維新のころと同質の変革を経験しているのかもしれないね。
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