誰のために戦うの?
神戸の雨は夜のあいだに通り過ぎてくれたので、今日は朝から快晴が続いている。
リビングのソファにすわって仕事をしていると、大阪湾が太陽の光を受けてキラキラと輝き、その向こうに高層ビル群が広がっているのが見える。イヤホンからはお気に入りの音楽が流れているし、他人の視線も気にならない。
なんて贅沢な場所で仕事をしているんだろう。つくづく有り難いと思う。これを当たり前だと思わず、感謝しなければいけないよね。まぁ感謝したからと言って、仕事が進むわけじゃないのが辛いところだけれどwww
さて以前から知っていたけれど、戦争映画ということで避けていた作品がある。ところが、もっと早く観れば良かったと後悔するほど素敵な映画がある。
『グローリー』という1989年のアメリカ映画。南北戦争の実話を映画化したもの。
物語の舞台は1862年のアメリカで、南北戦争の真っ最中。日本の場合、今年の大河ドラマの『西郷どん』では、前回放送分の数年後かな? 薩摩藩士が京都の寺田屋で大勢死ぬという、『寺田屋騒動』が起きた年になる。
ボストン出身のショー大佐は、北軍にとって初めての黒人連隊の指揮を任される。南部の奴隷生活から逃げてきた黒人や、北部で暮らしていた黒人たちによって構成される部隊だった。
南部の奴隷制度を廃止して、奴隷を解放することが宣言されている。それゆえの戦争でもあるから、黒人たちにとっては士気が上がる。素人集団だったけれど、ショー大佐は実践を想定して厳しい訓練を兵士たちに課す。そして彼らも、それに応えていく。
ところが敵は南郡ではなく北軍にあった。現在でさ人種差別があるのだから、この時代に存在しないわけがない。靴も軍服も支給されず、約束していた給料も減給されるという状態。そこでショー大佐は立ち上がり、兵士たちの要求を通すことに成功する。そのことによって、この54連隊は一致団結の気風が高まる。
それでも前線に送ってもらえない。黒人などに戦争は任せられない、という考え方が軍の幹部たちに根強くあった。奴隷解放という名目があるだけに、プロパガンダを目的としての連隊だったということ。
それどころか、南郡の地域に侵入して、民間人からの略奪や街の破壊に黒人兵を使っている。そんな事態に反発したショー大佐は、幹部の不正を追求することで兵士たちに働く場を設けるように持ちかける。
その結果、54 連隊は実績を上げていく。それでもまだ認めてもらうことはできない。そんな折、とても危険な戦闘を迎えることになった。1863年に行われれたワグナー要塞を落とす戦いで、ここを突破できれば北軍に勝機が生じる。
だけど大勢で突撃することができず、1連隊ごとにしか攻めることができない。つまり先陣をきる連隊は、全滅する可能性があった。だけどこの危険な任務をショー大佐だけでなく、部下の兵士たちが受けることを望む。
まさに自分たちのプライドをかけた戦いだった。黒人解放のための戦いなのに、黒人が先頭に立って死ぬなんて……。観ていてたまらない気持ちになった。
マシュー・ブロデリックが演じるショー大佐に対して、デンゼル・ワシントンが演じる兵士のトリップが言ったセリフが心に残っている。
いったい誰のための戦いなんだ。この戦争に勝利して、何が変わる? どうせお前はボストンに戻って、優雅に暮らすんだろう。だけど俺たちは何も変わらない。勝つことにどんな意味があるんだ? というようなことを言う。
それに対してシュー大佐は、「だが負けたらゼロになってしまう」と答える。なんとも切ないやり取りだった。
この二人に加えて、モーガン・フリーマンも素晴らしい演技を見せてくれた。結果として54連隊の半分は命を落とす。この3人も戦死する。そして北軍は撤退することになる。
だけど54連値の武功が伝わり、なんと18万人もの黒人が北軍に参加した。その結果北軍は勝利して、戦争が終結して奴隷は解放されるという物語。
涙なしには観られない映画だった。戦場で散っていた彼らは、誰のためでもなく自分たちのために戦ったんだろうと思う。同じ時代に明治維新で命をかけた日本人も、同様の想いだったのではないだろうか。とにかく素晴らしい作品だった。
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