人生を退屈にしない方法
雨は降っていないけれど、朝からずっと曇り空の神戸。今日の満月を見るのは、ちょっと無理そう。四国は梅雨入りしたので、来週には近畿も梅雨入りするかもしれない。そういえば今日は歩いていると、肌に感じる空気が蒸し蒸しとしていた。
梅雨という言葉を耳にするだけで、なんとなく鬱々とした気分になる。だけどそれは言葉どおりに『気分』でしかない。雨がシトシト降って、洗濯物が乾かなくて、部屋のなかは湿気で不快指数が上昇しても、宝くじで1等に当選したら最高の気分になるはず。まぁ梅雨の鬱々なんて、そんな程度だということ。
暑いからとか、ジメジメするとかいうのは、理由づけでしかない。たしかに不快だけれど、気分をどこへ持って行くかは本人次第。鬱々とした気分にとらわれていると、目の前に人生を変える最良のものがあっても見逃してしまうかもしれない。
そんな人は、人生を退屈なものにしてしまっている。退屈だと、どう過ごしていいのかわからない。すると必要になるのが気晴らし。とりあえず気分を高揚させるためにキャバクラに行ったり、酒を浴びるように飲んだり、パチンコや競輪・競馬等のギャンブルにのめり込む。
それは退屈している自分がやりきれないから。退屈であることを恐れ、そして避けようとして必死でもがいている。
だったら人生を退屈にしないためには、どうすればいいのか? そんなことについて書かれた本を読んだ。
『暇と退屈の倫理学』國分功一郎 著という本。著者は哲学者なので、この本はいわゆる哲学書になる。だけどとても読みやすく書かれているので、順を追って読めば誰でも理解できる。
ボクは読み始めると止まらなくなり、眠るのが惜しくなったほど。とにかくめちゃめちゃ面白い。人類はいつから退屈するようになったのか、という人類史から始まる。さらに脳科学や昆虫学まで登場してくる。それらが具体例を添えて書かれているので、頭に明確なイメージが届く。
人類が退屈を感じるようになったのは、一定の場所に定住するようになったころ。狩猟を中心として居場所を移動していたときの人間は、退屈を感じることがなかった。なぜなら生きることに必死だったから。
ところが定住するようになることで、食料を貯蔵するということが始まる。それで狩猟に行く時間が減り、必然的に自由な時間ができる。だけど人間はじっとしていられない。だから退屈になることを極端に恐れるようになる。そこで生まれたのは、芸術というもの。絵を書いたり、物を作ったりする。
とまぁ、こんな風に内容が進んで行く。そして最後に明確な結論が述べられている。人間は退屈しないために、どうするべきか?
もしその答えを知りたい人は、この本を読むこと。これは著者の意向なので、そうするべきだと思う。最初からの内容を理解せずに結論だけを読むと、真意がわからないからとのこと。通読したボクも、たしかにそのとおりだと思う。
ただまぁ、人生に退屈しているような人は、この本を手に取らないだろう。興味を持って答えを知りたいと意欲的になっている人は、すでに人生を退屈だと思っていないから。まさにボクもそう。1日の時間が足りないと思うばかりで、退屈だと感じる時間はほとんどないからね。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。