SOLA TODAY Vol.640
昨日ある映画を観ていて、現代における『死』の迎え方について考えさせられた。隠居生活をしている主人公の高校生時代の友人は、妻子と縁が切れてたった一人でわびしいアパート暮らしをしている。
心臓に持病がある男性だったが、たまたま大家族で暮らす主人公の自宅に泊まったときに亡くなった。結果として孤独な死をまぬがれたわけだけれど、普通ならアパートで誰にも知られずに旅立つことになるだろう。
自分の死に場所を選べることができればいい。だけど現代社会においては、死に方を選べないのが現状。たいていは病院に入って、症状の辛さに耐えながら最後を迎えることになる。緩和ケアの技術や思想が浸透しつつあるけれど、まだまだ一般的ではない。ましてや安楽死など論外。
そんな安楽死について、ある著名人が意見を述べている。
それは橋田壽賀子さん。この記事は新しいけれど、以前も橋田さんは死にかたについて意見を述べ、それがネットで話題になっていた。あらためてこの記事を読み直してみて、ボクの理想と同じだと再認識している。
世界的な傾向として、安楽死は容認されていない。もちろん日本も同じ。唯一外国人を受け入れてくれるのはスイスで、80万円ほどの負担で安楽死させてもらえる。だけど末期ガン等の堪え難い苦痛が認められることが条件になっている。当然だよね。
安楽死が否定されているのは、悪用される恐れがあるから。身体は健康なのに、精神的な苦痛で死にたいと思っている人。まだ治療可能なのに、それを受けようとしない人。もっとうがった見方をすれば、誰かを殺そうと思っている人。
そんな人たちが安易に安楽死を選ばないため、ほとんどの国で禁止されている。逆に言えば、技術としては可能だということ。死生観というものは、国や宗教によって大きくちがう。そしてそれぞれの人によって、理解も異なってくるだろう。だから明確な基準を設けることが難しい。
このような問題をふまえて、橋田さんはある提案をされている。
『私がイメージしているのは、医師や看護師、弁護士、ソーシャルワーカー、心理カウンセラーなど5、6人のチームを組んで、死にたいと申し出た人の希望を叶えるべきかどうかジャッジする制度です。
医師は医学的な見地から診断し、カウンセラーは死にたいという申し出が正常な精神状態でなされているかどうか判断し、弁護士はその人の社会生活や家族関係を調べます。借金やら保険金やらの理由で死ぬことを望んでいないか調べ、家族の賛否を確かめるためです。そうやってチーム全員がOKを出した人だけ、めでたく死なせてもらえるのです』
だからこの判定でNOとなった人については、同じメンバーが全力で生きるためにその人を支える。そうすれば自殺も減るだろう、と橋田さんは述べておられる。
このチームを構成する人を育成するのは、かなり難しいだろう。だけどやる価値はある。こんな制度ができれば本当にいいなぁと思う。自分の意識がはっきりした状態で死に方を選びたい。そうすれば私物や財産についても、適切に処理できる。
もちろん元気なうちに準備をすることも大切だけれど、『いつ』死ねるかを決められない状態だと、明確な答えを出せないこともある。『死ぬ自由』について真剣に議論されるようになることを、ボクは心から望んでいる。
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