逃避と依存によってカモられる
Instagramにもアップしたけれど、昨日の夕方の神戸港に見事な虹が出た。
実際にはもっと美しかったけれどね。写真を撮るのは難しい。この虹を見て今日はいい天気になると思ったとおり、朝から見事な晴天。今もリビングから見渡す限り青空しか見えない。梅雨の中休みかもね。
明日もいい天気になりそうなので、気持ちよく仕事ができそう。今日もつい先ほどまで集中していたので、まだ切り替えができていない。なので思いついたことをつれずれに書いてみよう。
大きなお世話だと思うけれど、スピリチュアルな世界にはまり込んで大金を使っている人は意外に多い。使う人の自由なんだけれどね。そんなことを言っているボク自身が20代のころはセミナー通いをしていた。日帰りだけでなく、富士五湖まで泊まり込みのセミナーに行ったこともある。
そういうセミナーで何を得たのか?
実は何も得ていない。強いて言うならば、セミナーなんてか行かなくてもいい、ということかもしれないw
スピリチュアルな世界にはまってしまう人は、ある種の傾向がある。ボク自身の体験やその後に接して来た人たち、さらにこのブログに質問をしてくださる人たちを見ていて共通することを感じている。
簡単に言えば、『逃避と依存』という言葉になる。
まずは現実世界に真正面から向き合うことをせず、逃避傾向にある人が圧倒的に多い。この世でない別の世界があるのを信じることで、自分の人生が変わると錯覚しているからだろう。それが宇宙人だったり、死後世界だったりする。それがどんな世界であっても、現実から目を背けていることに変わりない。
そして同時に依存心の強い人が多い。セミナーを主宰している人に、自分の人生を託そうとする。その人のいうとおりにすれば人生が変わるだろうと、これまた錯覚している。自分で考えることを放棄して、他人に頼りきってしまう。
『逃避と依存』というものを身につけてしまった人は、やがてセミナー難民になっていく。自分の人生を導いてくれる人の言葉を求めて、あちこちさまようことになる。厳しいことを言うようだけれど、他人に人生の極意を訊いている段階で、『逃避と依存』にどっぷり浸かっていると自覚したほうがいい。
『逃避と依存』の背景にあるものは共通している。逃避は現実世界から目を背け、依存は自分の人生に責任を持つことから目を背けている。つまりどちらも、真正面から自分の人生に向き合っていないということ。
人生の方向性のヒントを見つけるため、本を読んだり経験者の話を聞くことは大切だと思う。だけどそのときの自分に、『逃避と依存』が存在していないかじっくりと考えたほうがいい。でないと時間とお金を浪費するばかりで、手元に何も残っていない自分の人生に愕然とすることになる。
どんなことでもいいから、まずはやってみることだと思う。動かないと間違いが理解できないし、答えも見えてこない。人生80年なんて、あっという間だからね。向き合うことから逃げてばかりいると、そのまま人生の終わりを迎えることになるよ。
『逃避と依存』は巧妙だから、その正体をなかなか見せない。まだボクにも残っている部分はあると思う。その束縛から抜けるには、とにかく起きる出来事から逃げずに行動し続けるしかないと思っている。
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