SOLA TODAY Vol.652
現代社会は多様性を認める意識が高まりつつあるので、ゲイやレズビアン等のセクシャルマイノリティーの人たちのカミングアウトが増加している。
国によっては同性の婚姻が認められたりして、社会的な認知も進んでいる。まだまだ不完全な部分や偏見も存在するけれど、とてもいい傾向だとボクは思う。
セクシャルマイノリティーの人たちのなかで、最近よく耳にするのが「トランスジェンダー」という言葉。性別にこだわらない生き方を指している言葉で、心は女性で身体は男性、あるいは心は男性で身体は女性という人が多い。
そんなトランスジェンダーの人について書かれた記事を読んだ。
【特集】ありのままの自分で生きていく…「性別適合手術」で得たもの
この記事で紹介されている人は、身体は女性で心は男性という人。ずっと違和感に苦しんでいたけれど、18歳のときに初めて弟に打ち明けた。その弟の対応が素晴らしくて、この人は少しずつ自分のことを他人に明かすようになった。
今は完全にオープンにされていて、36歳の今年の春にタイで性別適合手術を受けておられる。戸籍も変わったので、社会的にも男性として認知されている。ありのままの自分となることで、やはり大きな変化があったらしい。
この記事のインタビューで、「けっこう人から言われるんですよ。自分は変わったと思ってないけど、けっこう表情変わったねと、やっぱり自分の気持ちが納得してるんでしょうね」と答えておられる。自分で思う以上に、他人はその人の心の変化を感じているんだろうね。
性というものの本質は、子孫を残すことにある。もし異性を好きにならなかったり、性行為が苦痛を伴うものなら、動物は子孫を残すことができない。それはすべての種のDNAに組み込まれているものだろう。
だけど人間の場合、ホルモンの影響だけで性を意識しているのではないのかも。性を意識することについて、心の部分がかなりのシェアを占めているような気がする。だから女性の肉体であっても、自分のことを男性としか思えないんだろう。
マジョリティ側にいる人は、そのことが普通だと思いがち。だから今までセクシャルマイノリティーの人たちに冷たい視線が向けられていた。だけど『普通』とい概念が崩れつつある。人間の心の問題を多数決で判断することはできない。そう考える人が増えてきたということだよね。
ボクが20代のころ、ゲイの人にめちゃモテた。マジでナンパされたこともあるし、上司にゲイの人がいてセクハラを受けたこともある。でも不快に思ったことはあるけれど、その人たち個人を非難する気持ちはなかった。
何度か想像してみたことがある。性の対象として男性を受け入れられるかどうか。でもどれだけ自己暗示にかけようとしても、ボクには絶対無理だった。つまりボクと同じように、セクシャルマイノリティーの人たちも自分の気持ちを変えられないんだろう。そう思うと非難する気持ちなんて出てこなかった。
多様性を認めるとは、そういうことなんだと思う。自分には理解できなくても、ちがう立場を尊重することだろう。それは他者に対する想像力の問題だと思う。こうした記事を通じて、少しでも多くの人の偏見が消えるといいよね。
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