自分の才能を証明する方法
昨日までの強い雨もあがり、今日の午後からは日差しを見ることもできた。梅雨の真っ最中なのでまた雨になるだろうけれど、明日くらいは大丈夫かな?
今日は夏至。1年でもっとも昼間が長い日で、ボクが大切にしている節目のひとつ。今年は午後7時ころが夏至の瞬間らしく、そこから流れが変化するんだね。
いつもは夏至と冬至に目標を定めているけれど、一昨年の冬至から同じ目標を継続している。それは1日も休まず小説を書くこと。
一昨年の冬至からスタートして、昨年の冬至まで続けた。そして今年の冬至に向けて、さらに期間を延長し続けている。だからあえて今年の夏至も目標を決めていない。とにかく愚直に日々仕事をしていくこと。それしかない。
なんのためにそんなことを続けているか? もちろん結果を出すためだし、いいものを書きたいから。だけどもっとも強く意識していることは、自分の才能を証明することだと言っていい。才能があると感じられることは、モチベーションの維持につながるからね。
才能とは特別なことじゃない。ボクはそう思っている。才能とは、どれだけ『好き』かということ。自分が『好き』だと断言できることは、そのことに関して才能があると断言していい。
たとえば事務職であっても、『好き』なら才能があるということ。家事だって『好き』な人は、才能豊かな人だと思う。
だったら『好き』とはどういうことなのか?
それは毎日続けることができる、ということだと思う。今日、そんな才能に関する大好きな映画を観た。なんども観ている作品。
『ドリームガールズ』というミュージカル映画。このブログでも過去に紹介しているので内容は割愛する。とにかくこの映画の登場人物たちは、歌うことを愛している。様々な出来事があり、メンバーやスタッフたちと確執を抱えたりする。もう無理だと思って、人生に絶望するときもある。
だけど3人とも歌うことをやめなかった。それは本当に『好き』だからだと思う。いや、辛いときだからこそ彼女たちは歌う。歌うことによって救われているのだろう。
『好き』であることを、とてもわかりやすく見せてくれる映画だと思う。何かを続けていくのは、決して楽じゃない。必ず障害や壁に向き合うことになる。
思うように書けなかったり、結果が出なくて悔しい思いをすることばかり。自分の不勉強を呪ったり、他人に嫉妬したりする。不遇を嘆くこともあるし、正当に評価されていないと感じることもある。
だけど本当に『好き』ならやめられない。傷ついて倒れても、また立ち上がろうと思う。それこそが才能だと思う。
だから自分がやりたいと思っていることがある人は、その才能があるかどうかを証明するのは簡単。まずは始めること。そしてそれを継続すること。
そうすれば才能があるかどうかはっきりする。『好き』なら時間を忘れて没頭できるし、毎日向き合っても苦痛じゃない。そして挫折しても、また気を取り直して自分を成長させようとする。
それでボクは1日も休まず続けている。ほぼ1年半は休んでいない計算になる。だけどまだまだ足りないものがあると感じるし、もっと時間をかけたいと思っている。不安と自己嫌悪でいっぱいのときもあるけれど、毎日続けることができる。それは『好き』だから。そして自分の才能を証明したいから。
ということで明日からも同じ日々が続く。今年の冬至にむかって前を向いて行こうと思う。あっ、そうそう。昨日迷っていた新作のタイトルが決まった。思っていたとおり、夏至という節目なので決めることができたのかもね。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。