SOLA TODAY Vol.712
陰陽学というものがある。いわゆる究極の二元論であり、宇宙は陰と陽で成り立っているという思想。
えらそうに語っているけれど、陰陽学についてボクは薄っぺらな知識しか持っていない。そんな付け焼き刃の知識のなかでも、心に強く残っているものがある。
極端な陰は陽へと変異し、陽が行き着く先は陰になる。まったく逆のベクトルを持つ陰と陽は、それぞれを極めると陰は陽に、陽は陰になるというもの。
これは示唆に富んだ思想であり、とてつもなく大きな真理を教えてくれていると感じていた。光は闇があってこその光であり、本来はたった一つのものでしかないと直感させる。二元論を語りながら、実はワンネスについて述べているのだと思う。
そのことを再認識させてもらえる記事を読んだ。
近代社会になって、科学と宗教ははっきりと分離している。古代や中世のヨーロッパでは、キリスト教等の宗教によって知識が授けられてきた。この宇宙は創造主が作ったものであり、すべてがその法則によって存在している。そう思い込まされてきた。
ところが科学が進化することで、物理法則が解明され、天動説は消え去り、物質の根源は素粒子だと認識されている。もはや神というのは人間の心の問題であり、最先端の科学とは一線を画している。
でも面白いことに、時代の最先端を疾走する一流の科学者ほど、神の存在を信じるようになる。それは信仰としての確信ではなく、厳然たる事実として受容しているらしい。
この記事は、一流の科学者がなぜ神を信じるようになったかについて考察した書籍を紹介しているもの。科学を極めれば極めるほど、そこに神の存在を見るようになるらしい。
コペルニクスやガリレオ、そしニュートンらの著名な科学者は、同時に敬虔なクリスチャンだった。それは生まれ育った文化として身につけた信仰だけではなく、宇宙の神秘に近づくことで何かを感じていたからだと言われている。この本にもそのことが書かれているらしい。
そういえばアインシュタインも、同様のことを言っていたことがある。ボクも化学関連の本が好きなのでよく読むけれど、ミクロである素粒子の世界は、マクロの宇宙そのものであり、人間の理解を超えた『何か』がそこにあるように感じる。
先ほどの陰陽学の理論と同じで、科学を極めることで対極にあった神を理解できるのかもしれない。この書籍で、著者はこう述べているそう。
『「ついに人間が宇宙のはじまりを、神を持ち出さずにすべて理解した。もはや神は必要ない」と考えることは、それこそ思考停止なのではないでしょうか。どこまでいっても、宇宙をすべて理解した、と言いきることは決してできないはずだからです』
解明しても解明しても、さらなる謎を宇宙は提示してくる。一流の科学者はその圧倒的なパワーに触れることで、畏敬の念とともに神を感じるのだろう。とても面白そうなので、この記事で紹介されている本を読んでみようと思う。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
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