SOLA TODAY Vol.724
イジメというのは、マジョリティがマイノリティに対して行うことが多い。数の優位で少数派を排除しようとする。それは人種差別も同じで、少数の支配者が被支配者を差別する場合を除き、多数派が少数民族に対して差別をするという構図が一般的だろう。
そんな奥深い人種差別を抱えるアメリカにおいて、その構図が崩れつつあるらしい。
非ヒスパニック系の白人が優位を占めていたアメリカにおいて、その比率が大きく変わろうとしている。数の優位において他の人種を差別してきた非ヒスパニック系白人が、もしかするとマイノリティになってしまうかもしれない。
アメリカの国勢調査によると、2044年までに非ヒスパニック系の白人が全米の人口の50%を割る見込みとのこと。もはや数の優位を意識できなくなってきたらしい。
この記事で紹介されているペンシルバニア州のある街では、炭鉱が廃止されたことで白人が大勢街を離れた。ところが傾いていた街を復活させたのは、流入してきたヒスパニック系の人たちだった。それによって人口比率は大きく変わり、祭に参加すると明らかに白人がいない状態になった。
この街で生まれ育った白人たちは、身の危険を感じているらしい。こうして街によっては白人がマイノリティとなり、差別される恐怖に怯えている。半世紀ほど前のアメリカでは考えれらなかったことだろう。
この現象が、アメリカの人種差別にどのような影響を与えるのかとても興味がある。数の優位を失ったことで、白人による有色人種への差別がなくなるのか。それとも新しくマジョリティとなった人種によって、他の人種が差別されることになるのか。それとも少数派となっても、以前のように白人が優位を保とうとするのか。
理想的な展開としては、数が拮抗することによって人種差別の愚かさに気づくことだろう。だけど差別意識というのは、イジメの構造と同じで人間の心の奥深くに根をおろしている。そう簡単に消えるとは思えない。
いびつな形に変異して、新しい差別が起きるのではないかという気がしてしまう。悲観的かもしれないけれど、ボクも含めて本当の意味で人類が差別の愚かさに気づくのは、まだまだ時間が必要だと感じる記事だった。
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