人間はどこまで落ちられるか
今日は初秋の気候なので、かなり過ごしやすい。1週間前の台風から雨が続いていたので、今日は久しぶりに布団を干すことができた。もうしばらくは雨はいらんよなぁ。
今日も午前と午後は仕事に集中。といっても文章を書くのに、それほど長く集中力と体力は続かない。午前2時間、午後2時間で合計4時間も書くと、かなりいっぱいいっぱいになる。自分の心の内をつらつらと書いているなら、いくらでも書けるんだけれどね。小説だとそうはいかない。
書くことと、読むことの持久力をもっと伸ばしたい。夜も読書をしていると、もう限界と感じるところが2〜3時間で来る。読めるけれど、文字を追っているだけになってしまう。それでは意味がない。
持久力というのは、頭でも身体でも同じかもね。つまりマラソン選手がひたすら走るように、ひたすら書き、読むしかないんだろう。ただ同じ読み書きをするにしても、効率の良さは求めないといけない。無駄に長くやればいいというものじゃないだろう。
これは人によってちがうので、決まった方法はないと思う。自分で試行錯誤しながら、より長く、より深く、書いたり読めるすべを身につけていくしかない。中でも大切なのは睡眠だと思う。昨日はしっかり眠ったので、今日は比較的調子がいいからね。
さて、少し変わった映画を観た。最初から最後までホームレスがニューヨークの街をうろつくという作品。
『ロスト・イン・マンハッタン 人生をもう一度』(原題:Time Out of Mind)という2014年のアメリカ映画。
リチャード・ギアが、ジョージという名のホームレスを演じている。家族があるのに失業して健康保険を失い、そのうえ妻は病気で他界する。12歳の娘がいたけれど、ジョージは自暴自棄になって家も何もかも失い、10年近くも定住地を持たない生活をしている。
たまに娘の様子を見に行くが、相手にしてくれない。母親の実家で育てられた娘は、父を軽蔑していたから。そりゃそうだろうね。
そのうち完全なホームレスとなってしまったジョージは、施設を渡り歩くことになる。なんとかして生活を立て直そうとするが、お金がないだけでなく、身分証明書もなければ、社会保障番号も記憶していない。昨日のボクのブログのように『自分』を証明するものがまったくない。
出生証明書さえ手に入れば、社会保障番号を再発行してもらえる。そうすればなんらかの仕事を得てホームレス生活から脱却することができる。だけどその出生証明書さえも自力で手に入れることができなかった。
施設で知り合いになったホームレスの友人も、追いやられてどこかに姿を消してしまう。ジョージは最後の最後までプライドを抱えていたけれど、自分がとことん落ちるとこまで落ちたと感じるようになる。そしてもう限界だと悟ったことで、彼は勇気をふりしぼって最後の行動に出る。
その勇気ある行動が、ラストシーンへとつながっていく。新しい作品なのでネタバレしないけれど、真っ暗闇のようなジョージの心に、かすかな光が見えるエンディングだった。
とにかくリチャード・ギアが素晴らしい。なんでも聞いたところによると、演技の練習を街角でしていたとき、本当のホームレスに間違われてほどこしを受けそうになったらしい。その事実が誇張でないと思えるほど、素晴らしい演技だった。
ジョージというホームレスの目を通すことで、現代のアメリカが抱える闇と社会問題を明らかにした作品。まるでドキュメントのような内容だった。ガラス越しに映るジョージの姿を見ていると、ボクたち観客がどれほど恵まれた場所で生活しているかを感じさせられる。映像そのものが語りかけてくる作品だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
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