他人の人生に責任を持てる?
いつものスーパーに行って、人が多いのにびっくり。そうか、今日はまだ3連休だったんだね。日数のカウントダウンばかりしているので、曜日感覚がまったくなくなっている。今月のカレンダーを残り日数でしか見ていないw
とにかく泣いても笑っても9月は次の日曜日で終わりだから、全力でやり切るしかない。自分の人生に責任を持てるのは、当たり前かもしれないけれど自分だけ。他人の意見を参考にすることがあっても、最終的に生き方を決めるのは自分。
そのことを忘れてしまうと、社会や他人を恨んで生きることになってしまう。あなたを信じたのに、と言って怒りをぶつけても意味がない。他人を信じた自分の判断が誤りだったことを自覚するしかない。
だがら逆に言えば、ボクは絶対に生き方に対するアドバイザーになりたくないし、そうした本も書きたくない。いや、性格的にできない。
だってボクは他人の人生に責任を持てないから。
例えば、「人を殺すことはいけないことでしょうか?」と訊かれたとしよう。絶対警察につかまらないし、完全犯罪で終えることができる。そんなことを質問されたら、あなたはどう答えるだろうか?
ほとんどの人は、人を殺してはいけない、と言うだろう。ボクもこの条件ならそう答えると思う。
だけど殺したいと思っている人間が、その人の妻と子供を残虐な方法で殺した人間だとしたら? そして犯人は罪に問われることなく、社会でのうのうと生きているとしたら?
かなりの人が言葉に詰まるだろう。少なくともボクは、最初の場合のように「人を殺してはいけない」とその人に強く言えない。かといって、「殺していいと思う」とも言えない。
この状況でも「絶対に人を殺してはいけません」と言い切れるような人が、人生アドバイザーのようなことができるんだろうね。だけどボクには無理。
ひとりの人間が抱えている事情は、その人しかわからない。決まったパターンがあって、紋切り型の答えが出るようなものじゃない。二人の人間が同じ質問をしても、その答えが正反対になることもあるだろう。そしてそれが正しいかどうかもわからない。
「これは絶対に失敗して痛い目に合うな」と思うような内容を相談されても、ボクはやめとけとは言えない。だってその失敗経験によって、その人は社会に貢献するようなことをやるようになるかもしれない。
逆に反対して痛い目に合うことがなくても、そのあとに取り返しのつかない失敗をやらかすための序章でしかないこともある。人生なんてどうなるか、まったくわからない。だから会って間もない人にアドバイスなんてできないし、自分が正しい意見を届けることができるとも思えない。
あくまでも私見として、ボクならこうするけれど、としか言えないだろう。絶対にこうするべき、なんて言葉は逆立ちしたってボクの口からは出てこない。その人にとって何が幸せかなんて、赤の他人に理解することはできないと思うから。
だから人生相談なんかで、堂々と相手に意見を言っている人を見ていると驚いてしまう。生き方について、そこまで自信を持って言えることがあるなんてすごいよね。よほど素晴らしい人生経験を積まれているんだろう。それが付け焼き刃でないことを願うけれどwww
ボクなら自分の意見を押し付けているように感じて、言ったあとに自己嫌悪にどっぷり浸かってしまうだけ。自分の人生の決断に責任を持つことで精一杯なので、とてもじゃないけれど他人の決断にまで責任を持てないなぁ。
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