ボクが努力にこだわる本当の理由
今日は予定があって、いつもより早く家を出て、いつもより遅い午後2時ごろに帰ってきた。
ちょっと疲れたので、本音を言うとそのままゴロゴロしていたかった。ボクという人間は、基本的に怠け者だから。
それゆえ、1日も仕事を休まないとブログで宣言している。怠け者である以上に体裁を気にする人間だから、その効果は抜群だよwww
人によっては、こんな行動を『努力』と呼んでくれるかもしれない。そしてボクも『努力』にこだわりを持っている。
ただボクが考えている努力は、我慢して続けるものではない。自分が本当にやりたいことを、時間を忘れて夢中になり、他人よりもはるかに多くの時間と集中力を注ぎ込む行動を、ボクは『努力』と呼んでいる。
一般的な意味で『努力している」とその本人が感じるものは、努力ではないと思っている。だけど他に適当な言葉が見つからないので、あえて『努力』と呼んでいる。全力で取り組むという意味では、大きく離れていないと思うから。
ただボクが努力にこだわる理由は、他の人とちょっとちがう。
どんな分野であれ、そのことで名を成した人は誰もが圧倒的な努力をしているのは事実。だから努力なしの成功なんてあり得ない、ということは理解している。
でも同時に、報われない努力が存在することも自覚している。ある一定量の努力をやったからといって、誰もが同じ結果を手にするわけじゃない。そこには運命のイタズラのようなものが介入するのも事実。
だからボクは、特定の結果を求めて努力をしているわけじゃない。なぜなら結果というものは自分の意思で変えられないと思っているから。このブログで何度も書いているけれど、人間に自由意志はない、というのがボクの持論。
どんなことも自分の意思で決めているように思うけれど、そうでしかないものを選択している。そう思い込んでいるだけで、体験する現実は決められている。かなりの極論なのでついてこれない人が多いだろうけれど、ボクはマジでそう思っている。
だったら頑張っても無駄だから、なんで努力なんかするの? それが素直な感想だと思う。
だけど人生で起きることが決まっていても、それをどう受け取るかは自分次第。
何もしないことでラッキーな結果を得るかもしれないし、不幸な人生を過ごすかもしれない。
努力して望む結果を得るかもしれないし、失望と絶望しか得られないかもしれない。
二つに一つなら、どっちがいい? ボクが言いたいのはそういうこと。そしてボクが努力にこだわる理由はここにある。
未来の結果を知った瞬間、ボクは精一杯やった果実として体験したい。望む結果なら達成感を得られるし、貴重な成功体験になる。結果が決まっているとしても、何もやらないより得るものが多い。
もし失敗に終わって失望しても、何もやっていないことを理由にしなくてすむ。それはリベンジするためのエネルギーになってくれる。なぜダメだったのかを考えることができるのは、努力した人のみに与えられるから。
要するに努力したほうが、人生を楽しめるということ。ボクはそう思うからこそ、『努力』ということにこだわりを持っている。せっかく生まれてきたんだから、同じ結果を受け取るにしても、少しでも楽しいほうが良くない? ボクはそう思う。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。