真実を知っているという快感
今日の大掃除はバルコニー。これで外気に触れる大掃除は無事に終了。残すところは室内なので、普段の掃除でやれていない部分をボチボチとやるつもり。
バルコニーの掃除はシンプルなんだけれど、体力的には一番キツい。考えようによってはいい運動になるんだけれど、さすがに疲れた。
こんな日に観る映画は、肩がこらずに楽しめる作品がいい。ということで選んだ映画がこれ。
『どら平太』という2000年の日本映画。ボクの大好きな時代劇で、おそらく10回以上は余裕で観ているはず。
この映画の素晴らしいところは、出演している俳優さんたちの演技。主演の役所広司さんは言うまでもなく、片岡鶴太郎さん、宇崎竜童さん、菅原文太さんたちの演技に見惚れてしまう。だから何度も観たくなる。
もちろん脚本がよくて、監督の演出が生きているからこそだと思う。見れば見るほど、この映画の魅力に惹きつけられる。
そしてこの映画を何度も観る理由は、ある種の快感を得られること。それは『真実を知っている』という快感。
小説や映画という物語には大きく分けて2つのパターンがある。ひとつは読者や観客に謎を提示して、エンディングにかけてそれを解明していくというパターン。
もうひとつは最初に事実のほどんとが開示されていて、登場人物たちが翻弄されるのを楽しむというパターン。
この映画は後者にあたる。映画の冒頭で、どら平太こと望月小平太の人物像が明確に提示されている。あえて評判の悪い奉行としてふるまうことで、悪党たちに近づいていく。誰が諸悪の根源なのかも、映画の半分くらいで観客にはわかる。
でも、どら平太の実像を完璧に理解しているのは観客だけなので、敵味方に関わらず虚像に翻弄されている姿を見ることに快感を覚えてしまう。そしてその快感が持続されたままで、悪党を追い詰めていく過程を目撃するのが楽しくて仕方ない。
ドラマの『水戸黄門』なんかも、同じパターンだよね。ちりめん問屋の隠居だと信じて接している人を見たら、『あぁ、あいつバカだよなぁ』と思って快感を覚える。少し古い映画だけれど、まだ観たことがない人がいたら、ぜひこの快感を体験して欲しいと思う。病みつきになるよ!
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