老害予防のセルフチェック
ある小説が、ある文芸賞の一次選考を通過したので、ざっと読み直している。その小説のイメージがボヤけているので、もう一度思い出すため。
だけど基本的に過去に書いたものを見直すのは避けている。気になる部分が見つかると、どうしても直したくなってしまうから。これは習性なので仕方ない。
だから初めて出版した本なんて、書店に並んでから一度も読んでいない。あくまでも訂正を前提にしないと、読み直す気になれないから。
それでもイヤイヤながら、あることに関して過去をふり返る作業を毎日続けている。それは過去のブログを読むこと。
同じ日付のブログを、4年前から昨年の分まで毎日目を通している。その主な理由は、過去に観た映画や読了した本の内容を確認するため。どうしても記憶が薄れてくるので、その補填をするために読み直している。
だけどもうひとつ大きな理由がある。
それは自分が老害になっていないかを、セルフチェックするため。
50代になると、知らず知らずに老害をなっているかもしれない。老害というのは、過去の経験を絶対視することで、今の時代に無理強いすることだと思っている。だから時代の変化についていくことができず、陳腐化した理屈を若い人に押し付けてしまう。
過去のブログを読むと、4年前と1年前とでは、確実に昨年のほうが今の自分の感覚に近い。それは当たり前だろう。ただ1年前のものであっても、今の自分が見たら、若干でも前に進んでいるものであるべきだと考えている。
過去の文章を読んで、今よりいいなぁと思ったら退化していることになる。それまさに老害へと進む兆候ではないだろうか? ましてや4年前の文章を読んで、恥ずかしく感じないようだと進歩していないことになる。
変な話だけれど、自分が書いた過去の文章を読みながら、自己嫌悪にひたっている。よくこんなことを書いているなぁ、と呆れてしまうことさえある。下手な文章だと情けなく思うこともある。少なくとも今のほうがマシやんか。そう思えるようにいたいので、過去の自分と1日に1度は向き合うようにしている。
もちろん進歩だと思っている変化が、実は退化だということもある。変化が常に前進だとは限らないから。それゆえ、どれだけ客観的な視点を持てるかが重要になってくる。生きていくうえで経験を積んでいるわけだから、今のボクが忘れている大切なこともそこにあるはず。昔のものがすべて悪いわけじゃない。
自分の文章を客観的に読むのはかなり難しい。だから出版業界には編集者という人物が存在している。だけど日常のチェックは、自分なりにやっていくしかない。老害予防のセルフチェックをすることは、自分という人間を客観的に見るという訓練になると思っている。
だから若い人は、ブログでも日記でもいいから文章を書いたほうがいい。できれば毎日何かを書き残して、1年後、5年後等の自分に読ませてあげるべきだと思う。そうすれば、自分という人間を少しでも知ることができるはず。ボクはそう信じている。
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