生まれ変わりを証明できる?
いきなりですが質問です。
あなたは突然、自分が誰かの生まれ変わりであることを思い出した。前世の記憶を明瞭に自覚している。調べてみると、まだ当時の家族は健在だった。
そこで前世の家族と対面したけれど、彼らは相当疑わしく思っている。あなたはどうにかして生まれ変わりだと説明しなくてはいけない。
さて、あなたならどうする?
この質問は、眠れない夜にボクが自問しているもの。いろいろと考えてみるけれど、うまい方法が思いつかない。
すぐに出てくる答えは、家族しか知らない秘密を口にすることだろう。映画なんかでも、よくこうしたシーンが使われる。だけどこれが意外にクセものなんだよね。
厳密に言えば、家族と自分しか知らないことなんて存在しない。例えば自分が死んだあとに家族をだますつもりならば、ある人物に思いつく限りの思い出話を吹き込んでおけばいい。家族が共有しているような記憶なら、簡単に他人に話すことができる。
つまり家族しか知らない秘密なんて、過去生の証明にはならないということ。死んだ本人に聞いたんだろうと言われたら、反証することはできない。
秘密の合言葉、隠してある物が置いてある場所、金庫の暗証番号、家族との記念日等、どんなことでも誰かに伝えることは可能。自分が過去生の記憶があると言い張っても、そのことの証明にならない。
だったら前世の自分しか知らない事実を告げたとしよう。だけど本人しか知らない事実なら、家族も知らないので意味がない。それも死んだ人間から聞かされたと言われたら、降参するしかない。
もし証明できるとしたら、言語のちがいしかないように思う。これは実際にあったことだけれど、前世の記憶を取り戻した子供が、まったく知らない外国語を話して過去生の事実を述べたというもの。まぁ、これなら証明としては強いよね。
だけどボクたちがスピリチュアル系で耳にする過去生の記憶は、日本人なら日本語を主体としたものしか出てこない。前世がアメリカ人だと言い張っても、ある日突然に英語をネイティブに話せる人はない。つまり過去生は後づけの理由でしかない。
ボクが何を言いたいかといえば、死んでしまった『自分』を証明することは無意味だということ。ボクは転生があると思っているし、自分の過去生も事実としては知っている。だけどそんなこと証明できない。
証明できないことに、貴重な人生の時間を費やすなんて無駄だと思う。過去生から引きずっている課題は、すべて今の人生に顕在化している、だから今の人生から逃げずに正面突破すればいいだけ。今の人生を精一杯生きることが、どんなことよりも大切なんだと思う。
暇つぶしにこんな質問を自分にして楽しんでいるけれど、いつも結論は同じ。今の自分を大切にして、明日も頑張ろうというところに落ち着く。
そして今のボクも、いつかは誰かの過去生になるだろう。だとしたら、その人物には『今』の人生を精一杯生きて欲しい。ボクのことなんて、いちいち思い出してもらう必要なんてない。ただ、ボクはその人物を見守るだけ。それでいいんじゃない?
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