SOLA TODAY Vol.772
ボクには宗教的な信仰心が皆無。特定の神を信仰したいと思ったこともない。
だからと言って、他人の信仰心を否定する気もない。それぞれの自由であり、憲法でも保障されているものだから。
だけど人間というのは、どうにも奇妙なところがある。何かを信じることに関して、必ずと言っていいほど盲信する人、あるいはもっと進んで狂信する人が現れてくる。特に宗教においては、その動向が顕著になる。
だからボクは、宗教組織が大嫌い。この記事を読んで、さらにその想いが強くなった。
ボクが若いころには、何かと物議をかもした「エホバの証人」という宗教団体。印象に残っているのは、教義によって輸血を禁止されていることに固執して、子供を死なせてしまったということ。
この記事の著者は、母親が厳格な信者であるため、幼いころから宗教活動を強制されてきた。その生活が普通だったから、何も変だとは思わない。だけど学校生活を通じて少しずつ、自分が置かれた環境の異常さに気づいていく。
「エホバの証人」というのは争うことを忌避するそう。だから戸別訪問で布教するさい、ボロクソに言われても黙って耐えているらしい。政治活動も禁止なので、創価学会のように公明党への投票を依頼することもない。一見すると控えめな宗教に見えるけれど、実態はそうでもない。
そうして反論する人を、心のなかで密かに哀れんでいる。聖書に書かれたハルマゲドンを信じていて、「エホバの証人」でないものは無残な死に方をすると思い込んでいる。それゆえ罵倒する人に接すると、「あの人は楽園に行けないんだね」と心で思うらしい。
いわゆる選民思想なんだろうけれど、盲信することでその理論の矛盾に気づくことはない。競争を禁止するという理由で、子供は運動会に参加させない。校歌や国家斉唱のときは、起立せずに歌わないように親から指導されている。偶像崇拝が禁止されているからとのこと。
競争がないと言いつつ、一定量の布教活動をしないと非難される。そして実績をあげた人は、組織での発言力が増し、特権が与えられるそう。これは立派な競争ではないだろうか?
だけどこういう現象って、宗教に限ったことじゃないよね。スピリチュアル系のセミナーにも、主催者の狂信者がぞろぞろ集まってくる。宗教っぽくない自己啓発セミナーでも同じような現象が見られる。
もっと言えば、自分が働く会社という組織を信仰しているサラリーマンもいるだろう。今でこそブラックだということが話題になるけれど、狂信者にはそのことが見えていない。
仕事であれ宗教であれ、何かを信じるのは心の支えになると思う。だけどその想いが信仰心となり、やがて盲信から狂信へと至るようになれば、なかなか自分の力では戻れないと思う。どこか客観的で冷めた視点を維持しておかないと、「あの人は地獄に落ちる、不幸になる」と平気で言うようになっちゃうよ。
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